説明

天蚕絹セリシン培地

【課題】天蚕由来セリシンの新規な用途を提供する。
【解決手段】天蚕由来セリシンを含有する昆虫細胞培養用培地およびリンパ球培養用培地を提供する。昆虫細胞はショウジョウバエ胚子由来のSchneider S2細胞、及びリンパ球はマウス脾臓由来のリンパ球を使用し、天蚕由来セリシンは、少なくとも、天蚕繭層の精練処理工程および水透析工程を経た後、凍結乾燥処理することで得られるものである。昆虫細胞培養用培地に添加する濃度は、0.05〜1%、リンパ球培養用培地に添加する濃度は0.1〜1%である。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、天蚕由来の絹セリシンを含有する培地に関するものである。
【背景技術】
【0002】
従来より、絹糸昆虫が産生する家蚕繭の利用だけでなく、野蚕繭についても絹糸等の利用法等についての検討が行われてきている。たとえば、これらから抽出等の手段により得られる絹タンパク質を健康増進のための飲食品に利用することや、化粧料成分として利用することが試みられてきている。また、医療への応用についての検討も進められている。
【0003】
ここで、家蚕は、カイコガ科(Bombycidae)に属する昆虫の一種で、家畜化された昆虫であるため野生には存在しない。一方、野蚕は、家蚕の対義語で、カイコガ科(Bombycidae)のクワコ(Bombyx mandarina)や、ヤママユガ科(Saturniidae)の天蚕(Antheraea yamamai)、柞蚕(Anteraea pernyi)楓蚕(Eriogyna pyretorum)、蓖蚕(Pilosamia Cynthia ricini)、樗蚕(Samia cynthia)、栗虫(Caligura japonica)、チュッサー蚕(Antheraea mylitta)、ムガ蚕(Antheraea assama)など、絹糸を生産する野生の昆虫の総称である。そして、これらの昆虫が吐糸する絹糸は、フィブロインとセリシンを主成分とする硬タンパク質である(非特許文献1)。
【0004】
しかしながら、漢字表記では「蚕」を用いることで共通しているが、上記のように、カイコガ科(Bombycidae)の家蚕とヤママユガ科(Saturniidae)の天蚕(Antheraea yamamai)などは、分類学上明確に区別され、両者を交配することはできない。また、天蚕は桑以外のクヌギ、ヤナギ、コナラ、カシワなどを食べて成長するため、産生される絹糸におけるフィブロインとセリシンは、家蚕の絹糸におけるフィブロインとセリシンとは、その高次構造からアミノ酸組成に至るまで全く異なることが知られている(非特許文献1)。
【0005】
そして、近年、絹タンパク質の取得とその利用についての関心が高まっていおり、例えば、家蚕が吐糸する絹糸から溶出して得られる絹フィブロインに細胞増殖促進効果があることなどが報告されている(特許文献1)。
【0006】
一方、絹タンパク質であるセリシンは、絹フィブロインを取り囲むタンパク質であって、フィブロインの場合に比べて、その取得と利用は容易ではないことも知られているが、近年は、フィブロインの研究成果に基づいて、セリシンについても研究対象になっている。
【0007】
例えば、家蚕(B.mori)由来の絹からセリシンを抽出する従来の方法としては、絹繊維を短く切断し、膨潤工程として140℃以下の水で処理した後に水蒸気で処理し、酸性水溶液、アルカリ水溶液又は酵素を含む水で処理する工程によりセリシンを回収する方法(特許文献2)などの様々な抽出方法が知られているが、抽出方法とセリシン成分間の結晶性の違いから、分子種および分子量が統一されていない。したがって、今までに報告されているセリシンの物性や機能性に関する研究はセリシンを分離・精製したものではなく、ほとんどが混合物である。さらに、家蚕(B.mori)が吐糸する絹糸から溶出して得られる分子量約400000のセリシンの作用効果としては、細胞生育促進作用があることも報告されている(特許文献3)。
【0008】
しかしながら、家蚕(B.mori)と天蚕(A.yamamai)の絹糸は、上記の通り、アミノ酸組成、高次構造が全く異なり、さらに、天蚕の繭糸は、家蚕(B.mori)と比較して、セリシンの含有量が少なく、無機塩類、特にCa(COO)2を多く含み、さらに色素などの活性物質も含まれているため、天蚕(A.yamamai)由来のセリシンを家蚕(B.mori)由来のセリシンと同様の抽出方法を採用して純セリシンを得ることは難しく、また、抽出されたセリシンの作用についても、両者を同列のものとして類推することはできない。
【0009】
したがって、天蚕(A.yamamai)由来セリシンについての研究は、アミノ酸組成分析、無機成分の分析、物理的な構造解析に留まっており、十分に研究が進んでいないのが現状であり、例えば、特許文献4には、一部、天蚕(A.yamamai)由来の絹タンパク質についての言及がなされてはいるが、実際には、主に、家蚕(B.mori)由来のフィブロインについての検討がなされているもので、天蚕(A.yamamai)由来のセリシンを取得するための具体的手段、得られたセリシンの作用および作用対象となる細胞については、特許文献4を含め、現状では全く報告されていない。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0010】
【特許文献1】特開2004−123683号公報
【特許文献2】特開2004−238312号公報
【特許文献3】特開2002−128691号公報
【特許文献4】特開2004−300142号公報
【非特許文献】
【0011】
【非特許文献1】小松計一著、北條舒正編、続絹糸の構造、352−377頁、信州大学繊維学部発行、1980年3月
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0012】
本発明は、以上のような事情に鑑みてなされたものであり、天蚕繭層から抽出、単離精製された天蚕由来セリシンを利用した、新しい細胞培養培地及び培養方法を提供することを課題としている。
【課題を解決するための手段】
【0013】
本発明は、上記の課題を解決するため、以下の細胞培養培地および細胞培養方法を提供する。
<1>天蚕由来セリシンを含有することを特徴とする昆虫細胞培養用培地。
<2>培地中の天蚕由来セリシンの濃度は、0.05〜1%であることを特徴とする<1>の培地。
<3>天蚕由来セリシンを含有することを特徴とするリンパ球培養用培地。
<4>リンパ球が哺乳類のリンパ球であることを特徴とする<3>の培地。
<5>培地中の天蚕由来セリシンの濃度は、0.1〜1%であることを特徴とする<3>または<4>の培地。
<6>天蚕由来セリシンは、少なくとも、天蚕繭層の精練処理工程および水透析工程を経ることにより得られたものであることを特徴とする<1>から<5>のいずれかの培地。
<7>天蚕由来セリシンは、少なくとも、天蚕繭層の精練処理工程および水透析工程を経た後、凍結乾燥処理することで得られるものであることを特徴とする<1>から<5>の培地。
<8>天蚕繭層の精練処理工程は、天蚕繭層をNa2CO3溶液に浸漬する処理であることを特徴とする<6>または<7>の培地。
<9>天蚕由来セリシンは、分子量が35kDa〜100kDaであることを特徴とする<1>から<8>のいずれかの培地。
<10>天蚕由来セリシンは、35kDa〜45kDaであることを特徴とする<1>から<9>のいずれかの培地。
<11>天蚕由来セリシンを含有する培地で昆虫細胞を培養することを特徴とする昆虫細胞の培養方法。
<12>培地中の天蚕由来セリシンの濃度が、0.05〜1%であることを特徴とする<11>の培養方法。
<13>天蚕由来セリシンを含有する培地でリンパ球を培養することを特徴とするリンパ球の培養方法。
<14>培養するリンパ球は、哺乳類由来である<13>の培養方法。
<15>培地中の天蚕由来セリシンの濃度が、0.1〜1%であることを特徴とする<13>または<14>の培養方法。
<16>天蚕由来セリシンは、少なくとも、天蚕繭層の精練処理工程および水透析工程を経て得られたものであることを特徴とする<11>から<15>のいずれかの培養方法。
<17>天蚕由来セリシンは、少なくとも、天蚕繭層の精練処理工程および水透析工程を経た後、凍結乾燥処理されたものであることを特徴とする<11>から<15>のいずれかの培養方法。
<18>精練処理工程は、天蚕繭層をNa2CO3溶液に浸漬する処理であることを特徴とする<16>または<17>の培養方法。
<19>天蚕由来セリシンは、分子量が35kDa〜100kDaであることを特徴とする<11>から<18>のいずれかの培養方法。
<20>天蚕由来セリシンは、分子量が35kDa〜45kDaであることを特徴とする<11>から<18>のいずれかの培養方法。
【発明の効果】
【0014】
本発明によれば、天蚕由来セリシンを利用した昆虫細胞培養用培地、リンパ球培養用培地が提供され、これらの培地は、昆虫細胞およびリンパ球の増殖促進効果を有するため、昆虫細胞の研究やリンパ球が関与する免疫疾患の治療や研究などに幅広く使用することができ、有用性が高い。
【図面の簡単な説明】
【0015】
【図1】本発明の培地に使用することができる天蚕由来セリシン溶液および可溶化パウダーを製造する方法を例示するフローチャートである。
【図2】天蚕由来セリシンの可溶性パウダーを試料とした、(A)Blue Native-PAGE電気泳動、(B)トリシンSDS−PAGE電気泳動の結果である。
【図3】天蚕由来セリシンの可溶性パウダーを試料とした、HPLCの結果である。
【図4】天蚕由来セリシン41kDaタンパク質の精製が確認されたことを示す(A)Blue Native-PAGE電気泳動、(B)トリシンSDS−PAGE電気泳動トリシンSDS−PAGE電気泳動の結果である。
【図5】天蚕由来セリシン41kDaタンパク質の精製が確認されたことを示すHPLCの結果である。
【図6】家蚕由来セリシンを含有する培地と、天蚕由来セリシン41kDaタンパク質を含有する本発明の培地において、Schneider S2細胞を培養した結果の比較を示す図である。なお、天蚕由来セリシン41kDaタンパク質含有培地における結果を示すグラフ上の記号*および記号**は有意水準を示し、*は、p<0.01、**は、p<0.001を示している。
【図7】家蚕由来セリシンを含有する培地と、天蚕由来セリシン41kDaタンパク質を含有する本発明の培地において、マウス脾臓リンパ球を培養した結果の比較を示す図である。そして、天蚕由来セリシン41kDaタンパク質含有培地における結果を示すグラフ上の記号*は有意水準を示し、p<0.02である。
【図8】家蚕由来セリシンを含有する培地と、天蚕由来セリシン41kDaタンパク質を含有する本発明の培地において、ラット肝がん細胞(dRLh84)を培養した結果の比較を示す図である。
【発明を実施するための形態】
【0016】
本発明に使用される天蚕は、これらの山野に生息しているもの、あるいは飼育されているもののいずれでもよく、まず、これらの天蚕が吐出する生繭を切開して天蚕繭層を取得する。この天蚕繭層が、本発明の培地を製造するための出発原料物質となる。
【0017】
そして、本発明の培地に添加される天蚕由来セリシンは、基本的に、以下の(A)、(B)の工程を経て製造されるものである。
(A)繭層の精練処理による繭層絹糸と抽出液との分離
(B)抽出液の水透析による天蚕絹セリシン溶液の取得
本発明の培地に添加される天蚕由来セリシンを得るためには、まず、取得した天蚕繭層を精練処理する(工程A)。この精練処理では、繭層の絹糸が固形成分として分離され、抽出液としての絹セリシン含有の水性液が取得される。
【0018】
より好適には、この工程(A)の精練処理に際しては、あらかじめ、得られた天蚕繭層を、20〜200倍(重量比)程度の純水を用いて40〜80℃程度の温度範囲において温水洗浄しておき、さらには必要に応じて、メタノール水溶液により色素物質の抽出を行っておくことが考慮される。これによって、工程(A)以降での操作を不純物除去の点でより負担の少ない簡便なものとすることができる。
【0019】
また、精練では、弱アルカリ、たとえばNa2CO3の0.1〜2%濃度水溶液により、70〜105℃程度の温度範囲で行うことが好適に考慮される。処理時間は20分〜3時間程度であってよい。この精練処理の後、たとえばフィルター等を用いた濾過により繭層絹糸と抽出液とに分別される。
【0020】
そして、その後、水透析を行なう(工程B)。より好ましくは、工程Bの前処理として、100℃未満の温度において濃縮を行い、数日間放置(静置)した後に濾過しておく。これによって、透析の際の透析膜の内側に沈殿物が付着して、透析が不十分となるのを防ぐことができる。
【0021】
工程(B)における透析の工程では、5〜25℃程度の温度範囲で、セルロースチューブ等を用いることができる。その後、濾過処理することも考慮される。
【0022】
少なくとも、以上の工程(A)(B)を経ることにより、天蚕由来のセリシン溶液が得られる。そして、この天蚕由来のセリシン溶液を凍結乾燥することで、天蚕由来のセリシンの可溶性パウダーを生産することもできる。
【0023】
そして、この天蚕由来セリシン溶液は、上記の取得に際しての条件等にもよるが、通常は、分子量が35kDa〜100kDのタンパク質を含有している。さらに、前記タンパク質は、分子量が小さい程、反応性が高いため、35kDa〜45kDaであることがより好ましく、このタンパク質は、液体クロマトグラフィーなどの公知の方法を利用することで、精製することができる。
【0024】
そして、上記の方法で取得された天蚕由来のセリシン、特に、前記35kDa〜45kDaのタンパク質を含有する培地は、昆虫細胞培養用培地として好ましく使用することができる。本発明の昆虫細胞培養用培地は、天蚕由来セリシンが、顕著な昆虫細胞増殖効果を有するという新規な知見に基づいている。
【0025】
詳しくは、本発明の昆虫細胞培養用培地は、少なくとも、前記35kDa〜45kDaのタンパク質を含有し、その他、タンパク質抽出物、無機塩、糖類、アミノ酸、ビタミン、その他の添加物を含み得る。
【0026】
具体的には、タンパク質抽出物としては、ラクトアルブミン水解物(Lactoalbumine Hydrolysate)、酵母抽出物(Yeastlate)およびトリプトースリン酸ブロス(Tryptose Phosphate Broth)、フェツイン、チトクロームC、イノシン、ウシ血漿アルブミンV等を含んでいてよい。これらのタンパク質抽出物は、すべて市販のものを用いることもできる。
【0027】
また、無機塩、糖類、アミノ酸、ビタミンとしては、一般に動物細胞用培地に添加し得るものを添加すればよい。例えば、無機塩としてNaH2PO4、NaHCO3、KCl、CaCl2、CuCl2、CoCl、FeSO4、MgCl2、MgSO4、MnCl2、NaCl、NaH2PO4、(NH4)6(Mo7O24・4H2O)、ZnCl2などが挙げられる。糖類としては、グルコース、フルクトース、スクロース、リンゴ酸、α-ケトグルタル酸、コハク酸、フマル酸、マルトースなどが挙げられる。アミノ酸としては、αアラニン、βアラニン、アルギニン、アスパラギン、アスパラギン酸、システイン、グルタミン酸、グルタミン、グリシン、ヒスチジン、イソロイシン、ロイシン、ハイドロキシプロリン、リジン、メチオニン、フェニルアラニン、プロリン、セリン、トレオニン、トリプトファン、チロシン、バリンをなどが挙げられる。ビタミンとしては、ビオチン、D-パントテン酸カルシウム、塩化コリン、葉酸、i-イノシトール、ニコチン酸、ピリドキシン、リボフラビン、チアミン、ビタミンB12、パラアミノ安息香酸などが挙げられる。
【0028】
これらの無機塩、糖類、アミノ酸、ビタミンは、上述の物質を総て含んでいてよく、一部の物質を欠いていてもよいし、また他の物質が添加されていてもよい。これらは、市販の培地添加用の無機塩類組成物、糖類組成物、アミノ酸組成物およびビタミン組成物を用いてもよいし、公知の無機塩、糖類、アミノ酸、ビタミンを主成分とする培地に上記のタンパク質抽出物を添加して用いても良い。この場合、公知の培地にはGrace培地、Shneider's 昆虫用培地等の、公知の昆虫細胞培養用培地も含まれる。さらに、培地にペニシリン、ストレプトマイシン等の抗生物質、グルタチオン等を添加しても良い。すなわち、天蚕由来セリシンを含む昆虫細胞培養用培地である限り、本発明の培地に含まれる。
【0029】
そして、本発明の培地は、総ての昆虫細胞の培養に使用することができ、顕著な細胞増殖効果を発揮する。
【0030】
さらに、上記の方法で取得された天蚕由来のセリシン、特に、前記35kDa〜45kDaのタンパク質を含有する培地は、リンパ球培養用培地としても好ましく使用することができる。本発明のリンパ球培養用培地は、天蚕由来セリシンが、顕著なリンパ球増殖効果を有するという新規な知見に基づいている。
【0031】
本発明における「リンパ球細胞培養用培地」としては、上記の昆虫細胞培養用培地と同様に、少なくとも、前記35kDa〜45kDaのタンパク質を含有し、その他、リンパ球細胞培養に好適なタンパク質抽出物、無機塩、糖類、アミノ酸、ビタミン、その他の添加物を含み得る。
【0032】
具体的には、細胞の増殖及び維持を支援すべく使用される成長因子及び栄養素を含む標準培地や、標準培地に動物血清をはじめとする種々の添加物を加えた培地を例として挙げることができる。用いる標準培地は、通常、動物細胞の培養で用いられるイスコフ培地、RPM1培地、ダルベッコMEM培地など培地を用いうるが、細胞の増殖及び維持に有効であることが知られている血清以外の因子、たとえば血清アルブミン、トランスフェリン、脂質及び脂肪酸源、コレステロール、ピルビン酸塩、グルココルチロイド、増殖因子(例えば表皮成長因子、線維芽細胞成長因子、血小板由来成長因子及びインシュリン)、並びに細胞外マトリックス細胞(例えばコラーゲン、フィブロネクチン及びラミニン)等を添加してもよい。
【0033】
そして、本発明のリンパ球培養用培地で培養されるリンパ球は、動物由来のB細胞、T細胞、NK細胞などのリンパ球のうちの1種または2種以上で、動物の種類としては、哺乳類を挙げることができる。哺乳類動物としては、例えば、ヒト、サル、ウシ、ブタ、ヒツジ、ウマ、ラットなどを例として挙げることができる。また、リンパ球は、例えば、上記動物の骨髄、脾臓細胞、リンパ節、末梢血液などから公知の方法で取得したものを適宜使用することができる。
【0034】
本発明のリンパ球培養用培地によれば、リンパ球を効率的に培養できるため、リンパ球が関与する免疫疾患の治療、研究など、幅広い分野で有用である。
【0035】
そして、上記の昆虫細胞培養用培地およびリンパ球細胞培養用培地に含有される天蚕由来のセリシンの濃度は、培養細胞に応じて適宜決めることができるが、濃度の影響による変性を考慮すれば、例えば、昆虫細胞培養用培地においては、0.05〜1%、リンパ球細胞培養用培地においては、0.1〜1%とすることができる。
【実施例】
【0036】
以下、実施例により本発明をさらに詳しく説明するが、本発明はこれらの実施例に何ら限定されるものではない。
【0037】
<実施例1>天蚕由来セリシン溶液の抽出
天蚕由来セリシン溶液の抽出プロセスを図1に沿って説明する。
【0038】
天蚕の生繭を切開して得た繭層をまず100倍の65℃の純水で3分間洗浄し、速やかに水を切るために17Gガラスフィルターで固液分離する。
【0039】
そして、色素の抽出を、メタノール70%溶液により25℃、10日間行った。さらに、前記の処理を行った繭層を、50倍の0.5%Na2CO3溶液により98℃、2時間処理の精練を行った。家蚕絹に比較して天蚕絹の場合、Ca(COO)2が多く含まれているため、この精練工程では、Na2CO3溶液の外に、クエン酸や酒石酸等の弱酸で比較的低分子の有機酸を用いてもよい。これは後の透析工程を効果的に行うためのものであり、従来、家蚕絹からセリシンを抽出する際に用いられている石けんや酵素では透析膜が固化し透析膜が目詰まりを起こして透析ができないためである。
【0040】
次に、ガラスフィルターを用いて精練後の抽出液を濾過し、得られた濾液を、98℃、30〜60分で溶液を30倍に濃縮後、25℃で2日間放置して不純物を沈殿させる。これは、精練直後の溶液では、透析する際の透析膜の内側に沈殿物が付着して、透析が不十分となるからであり、これも天蚕絹のCa(COO)2による影響であると考えられる。
そして、再び、濾紙による濾過をして、透析用セルロースチューブ(SPECTRUM Laboratories社)に充填し、20℃で、水道水による流水透析を3日、純粋で1日透析を行った後、再度、濾紙による濾過をして、天蚕由来のセリシン溶液を得た。
【0041】
また、本発明においては、バイオアッセイに利用するため、凍結乾燥機(東京理科器械株式会社)を用いて、セリシン溶液を−20℃で凍結乾燥し、天蚕由来セリシンの可溶性パウダーも得た。
【0042】
<実施例2>天蚕由来セリシンのトリシンSDS−PAGE電気泳動および液体クロマトグラフィー解析
(1)SDS−PAGE電気泳動
実施例1で得られた天蚕由来セリシンの可溶性パウダーを試料として、トリシンSDS−PAGE電気泳動を行なった。具体的には、天蚕由来セリシンの可溶性パウダーを、10%(T)、3%(C)の分離ゲル上に濃縮ゲルを重層した垂直型スラブゲルを用いて分離した。陰極槽は、0.1M Tris, 0.1M Tricine, 0.1%(W/V) SDSで、陽極槽は、0.2M Tris-HCl buffer(pH8.9)で、泳動用試料(20μl)は、等量のTricine SDS−PAGE用sample buffer を加え、3分間加熱したものを用いた。分子量マーカーには、Proctin Marker Kit(ヘルスケアバイオサイエンス社)を使用した。泳動は、分離ゲルに入るまでは30V、その後分離ゲルの下端に達するまでは、80Vの定電圧で通電した。
【0043】
そして、泳動後のゲルは、クマシーブルーR250でタンパク質を染色した。なお、タンパク質濃度は、ビシコニン酸(BCA)試薬を用いて決定した。
【0044】
(2)Blue Native-PAGE(BN-PAGE)電気泳動
また、実施例1で得られた天蚕由来セリシンの可溶性パウダーを試料として、Blue Native-PAGE(BN-PAGE)電気泳動も行った。具体的には、BN-PAGEは、4〜16%のグラジエントゲルを用いた(Invitrogen社)。泳動方法は、基本的にSDS−PAGEと同様であるが、サンプルバッファ、泳動バッファに還元剤や界面活性剤を用いず、サンプルも熱処理しないのが特徴である。泳動槽に、泳動用バッファ(Invitrogen社)を入れ、泳動用試料(20μl)は、等量のsample buffer を加え調製した。分子量マーカーには、Native Marker Protein Standerds(M.W Range 1,236,000〜20,000 Invitrogen社)を使用した。泳動は、150V定電圧で行い、泳動後のゲルの脱色は、Invitrogen社BN-PAGE Manual に従って行った。具体的には、泳動後のゲルを100mlの固定液40%エタノール、10%酢酸)に入れ、電子レンジで45秒温めた後、シェーカーで室温/5分間振とうし、固定液を捨てた。続いて100mlの脱色液(8%酢酸)を加え、電子レンジで45秒温めた後、バックグラウンドが鮮明になるまで、シェーカーで振とうした。
(3)結果
トリシンSDS−PAGE電気泳動の結果を、図2(B)に示す。図2(B)の左レーンは分子量マーカーであり、右レーンが天蚕由来セリシンのバンドである。図2(B)に示されるように、<実施例1>の方法によって得られた天蚕由来セリシンは、分子量41kDaのタンパク質と約30kDa以下のサイズのポリペプチドを含有していることが分かった。このポリペプチドは、界面活性剤や、SDS処理した際に生じた41kDaタンパク質の分解産物によるものと考えられる。
【0045】
BN-PAGEの結果を、図2(A)に示す。左レーンは分子量マーカーであり、右レーンが天蚕由来セリシンのバンドである。図2(A)に示されるように、BN-PAGEにおいても、分子全体での大きさが約41kDaのバンドが検出された。また、BN-PAGEは、タンパク質の高次構造や複合体構造を維持したまま分子全体の大きさを測定することができることから、抽出された天蚕由来セリシンは、熱と有機溶媒処理によって高次構造を形成するH−H結合やS−S結合が切断されても41kDaタンパク質はこれ以上切断がなく、一定レベルに保たれていることが示唆された。
【0046】
なお、この実施例のSDS−PAGE、BN-PAGEにおいては、いずれも天蚕由来セリシンの分子量は41kDaであったが、抽出条件などによって分子量は変わり得るものである。
(4)液体クロマトグラフィー解析
さらに、天蚕由来セリシンの可溶性パウダーを蒸留水で調整後、10000rpmで5分間遠心分離し、ゲル濾過クロマトグラフィー用カラムが接続したHPLCシステムに接続したゲル濾過Tsk‐Gel G3000pwカラム(7.5×300mm)を用いて解析を行った。0.2Mリン酸バッファ(pH6.8)でカラムを平衡化、流速0.5ml/minで分離を行い、280nmの紫外吸収で検出し、レコーダー(C−R6A、島津製作所)で記録した。
【0047】
その結果、図3に示すように、4つのピークが検出された。
【0048】
<実施例3>液体クロマトグラフィーによる天蚕由来セリシン41kDaタンパク質の精製
実施例2で確認された41kDaタンパク質を精製するため、HPLCで検出されたピークごとに回収し、トリシンSDS−PAGE、BN-PAGEで解析した。
【0049】
図4(A)にBN-PAGEの結果を、(B)にトリシンSDS−PAGEの結果を示す。さらに、HPLCの結果を図5に示す。図4(A)(B)に示すように、41kDa付近に鮮明なバンドが検出され、図5に示されるように、この天蚕由来セリシン41kDaタンパク質を含む画分は、17分付近で溶出された。
【0050】
すなわち、実施例2で確認された約30kDa以下のサイズのポリペプチドは取り除かれ、天蚕由来セリシン41kDaタンパク質を精製することができた。
【0051】
<実施例4>天蚕由来セリシン41kDaタンパク質による昆虫細胞増殖効果
(1)細胞培養
ショウジョウバエ胚子由来のSchneider S2細胞(以下、S2細胞という)を用いて、昆虫細胞に対する天蚕由来セリシン41kDaタンパク質の作用について検証した。
【0052】
培地は、10%FBS、抗生物質-抗真菌剤混合溶液(100倍濃縮)ペニシリン、ストレプトマイシン、アンフォテリシンBを含有するSchneider昆虫細胞用培地を使用した。
(2)細胞増殖活性測定
培養フラスコで増殖させたS2細胞を回収後、ビュルケルチュルク赤血球計基盤で細胞数を計測して、S2細胞の播種細胞密度を1×105cell/mlに調製し、96 well plateに100μl/well添加し、27℃全暗条件で24時間前培養を行った。そして、終濃度を0.1%、0.05%(W/V)となるように調製した天蚕由来セリシン41kDaタンパク質含有試料を11μl/wellを添加し、また、対照区として、同量のPBS緩衝液を添加して、48時間培養した。
【0053】
一方、ポジティブコントロールとして、市販されているカイコ由来のピュアセリシン(和光化学)を、終濃度を0.1%、0.05%(W/V)となるように調製して添加し、また、対照区として、同量のPBS緩衝液を添加して、48時間培養した。
【0054】
さらに、WST-1溶液(和光化学)を11μl/well加えて4時間培養し、450nmの吸光度をマイクロプレートリーダーにて測定した。細胞増殖効果は、PBS緩衝液を添加した対照区の吸光度を A control、試料添加区の吸光度をAとし、細胞生育率(%)=(A/A control)×100として算出し、評価した。
(3)結果
結果は、図6に示すとおり、0.1%、0.05%天蚕由来セリシン41kDaタンパク質添加区では、無添加対照区に比べ、それぞれ15%、48%の細胞増殖活性が認められた。一方、市販されているカイコ由来のセリシンには、細胞増殖活性が認められなかった。
【0055】
このことから、天蚕由来セリシン41kDaタンパク質に昆虫細胞培養促進効果があることが明らかになった。
【0056】
<実施例5>天蚕由来セリシン41kDaタンパク質によるマウス脾臓リンパ細胞増殖効果
(1)実験動物および培地組成
実験動物は、ICR系マウス(4週齢、オス)を用いた。細胞培養培地は、10%FBSおよびペニシリン、ストレプトマイシンを含むRPMI1640培地(日水製薬社)を使用した。
(2)リンパ球細胞の調製
マウスから脾臓を摘出し、PBSが入っているディッシュにリンパ球を採取した。溶血バッファ(0.14M塩化アンモニウム、17mMトリス−塩酸バッファ)およびPBS洗浄を2回づつ行い、十分に赤血球を除去した上で、5%COインキュベーターで2時間インキュベートした。その後、細胞を0.4%トリパンブルーで染色し、ビュルケルチュルク赤血球計基盤で細胞数を計測した。
(3)活性測定
リンパ細胞を播種細胞密度5×106cell/mlになるように調製して、96 well plateに100μl/well添加した。その後、終濃度を0.1%、0.05%(W/V)となるように調製した天蚕由来セリシン41kDaタンパク質含有試料を11μl/wellを添加し、また、対照区として、同量のPBS緩衝液を添加して、5%CO2存在下、37℃湿潤条件で48時間培養した。
【0057】
一方、ポジティブコントロールとして、市販されているカイコ由来のピュアセリシン(和光化学)を、終濃度を0.1%、0.05%(W/V)となるように調製して添加し、また、対照区として、同量のPBS緩衝液を添加して、5%CO2存在下、37℃湿潤条件で48時間培養した。
【0058】
さらに、WST-1溶液(和光化学)を11μl/well加えて4時間培養し、450nmの吸光度をマイクロプレートリーダーにて測定した。細胞増殖効果は、PBS緩衝液を添加した対照区の吸光度を A control、試料添加区の吸光度をAとし、細胞生育率(%)=(A/A control)×100として算出し、評価した。
(4)結果
結果は、図7に示すとおり、0.1%天蚕由来セリシン41kDaタンパク質添加区では、無添加対照区に比べ、16%の細胞増殖活性が認められた。一方、市販されているカイコ由来のセリシンには、細胞増殖活性が認められず、むしろ細胞増殖は、濃度が高くなるにしたがって抑制される傾向があった。
【0059】
このことから、天蚕由来セリシン41kDaタンパク質にリンパ球培養促進効果があることが明らかになった。
【0060】
<実施例6>天蚕由来セリシン41kDaタンパク質によるラット肝がん細胞(dRLh84)細胞増殖効果
(1)細胞培養
ラット肝がん細胞(dRLh84)は、10%NBS、4mMグルタミン、50U/mlペニシリン、100ng/mlカナマイシンを含有するDMEM培地で、5%CO2存在下、37℃で24時間培養したものを使用した。
(2)細胞増殖活性測定
ラット肝がん細胞(dRLh84)を細胞密度5×104cell/mlになるように調製して、96 well plateに100μl/well添加し、24時間培養した。その後、終濃度を0.1%(W/V)となるように調製した天蚕由来セリシン41kDaタンパク質含有試料を11μl/well添加し、同様に、ポジティブコントロールとして、終濃度を0.1%(W/V)となるように調製した市販のカイコ由来のピュアセリシン(和光化学)を添加した。また、対照区には、同量のPBS緩衝液を添加して、5%CO2存在下、37℃湿潤条件で48時間培養した。さらに、MTT法(Oka et al.,1992)に従い、MTT溶液(和光化学)を11μl/well加えて4時間培養し、DMSO(dimethyl Sulfoxide、和光化学)を加え、生成したホルマザンを溶解し、590−620nmの吸光度をマイクロプレートリーダーにて測定した。細胞増殖効果は、実施例4と同様に算出し、評価した。
(3)結果
結果は、図8に示す通り、天蚕由来セリシン41kDaタンパク質添加区と市販のカイコ由来のセリシン添加区、無添加対照区の間に有意差はなかった。
【0061】
このことから、天蚕由来セリシン41kDaタンパク質の細胞増殖効果は、任意の細胞で認められるわけではないことが示唆された。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
天蚕由来セリシンを含有することを特徴とする昆虫細胞培養用培地。
【請求項2】
培地中の天蚕由来セリシンの濃度は、0.05〜1%であることを特徴とする請求項1の培地。
【請求項3】
天蚕由来セリシンを含有することを特徴とするリンパ球培養用培地。
【請求項4】
リンパ球が哺乳類のリンパ球であることを特徴とする請求項3の培地。
【請求項5】
培地中の天蚕由来セリシンの濃度は、0.1〜1%であることを特徴とする請求項3または4の培地。
【請求項6】
天蚕由来セリシンは、少なくとも、天蚕繭層の精練処理工程および水透析工程を経ることにより得られたものであることを特徴とする請求項1から5のいずれかの培地。
【請求項7】
天蚕由来セリシンは、少なくとも、天蚕繭層の精練処理工程および水透析工程を経た後、凍結乾燥処理することで得られるものであることを特徴とする請求項1から5のいずれかの培地。
【請求項8】
天蚕繭層の精練処理工程は、天蚕繭層をNa2CO3溶液に浸漬する処理であることを特徴とする請求項6または7の培地。
【請求項9】
天蚕由来セリシンは、分子量が35kDa〜100kDaであることを特徴とする請求項1から8のいずれかの培地。
【請求項10】
天蚕由来セリシンは、35kDa〜45kDaであることを特徴とする請求項1から9のいずれかの培地。
【請求項11】
天蚕由来セリシンを含有する培地で昆虫細胞を培養することを特徴とする昆虫細胞の培養方法。
【請求項12】
培地中の天蚕由来セリシンの濃度が、0.05〜1%であることを特徴とする請求項11の培養方法。
【請求項13】
天蚕由来セリシンを含有する培地でリンパ球を培養することを特徴とするリンパ球の培養方法。
【請求項14】
培養するリンパ球は、哺乳類由来である請求項13の培養方法。
【請求項15】
培地中の天蚕由来セリシンの濃度が、0.1〜1%であることを特徴とする請求項13または14の培養方法。
【請求項16】
天蚕由来セリシンは、少なくとも、天蚕繭層の精練処理工程および水透析工程を経て得られたものであることを特徴とする請求項11から15のいずれかの培養方法。
【請求項17】
天蚕由来セリシンは、少なくとも、天蚕繭層の精練処理工程および水透析工程を経た後、凍結乾燥処理されたものであることを特徴とする請求項11から15のいずれかの培養方法。
【請求項18】
精練処理工程は、天蚕繭層をNa2CO3溶液に浸漬する処理であることを特徴とする請求項16または17の培養方法。
【請求項19】
天蚕由来セリシンは、分子量が35kDa〜100kDaであることを特徴とする請求項11から18のいずれかの培養方法。
【請求項20】
天蚕由来セリシンは、分子量が35kDa〜45kDaであることを特徴とする請求項11から18のいずれかの培養方法。

【図1】
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【図3】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図8】
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【図2】
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【図4】
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