説明

有機ヒ素の蓄積を抑制する稲の栽培方法

【課題】ジフェニルアルシン酸関連有機ヒ素に汚染された水田において、栽培稲体内、特に玄米への有機ヒ素の蓄積を実質的に人体に無害な程度に抑制する稲の栽培方法を提供する。
【課題手段】ジフェニルアルシン酸関連有機ヒ素に汚染された水田において、移植前の土壌に活性炭を施用することを特徴とする、玄米への関連有機ヒ素の蓄積を抑制する稲の栽培方法であり、更には前記水田の移植後の水管理は生育期間中にわたり節水条件が好ましく、前記活性炭は粒子径1μmから400μm及び/又は比表面積が3000cm2/cm3以上の粉末活性炭が好ましく、前記活性炭の水田土壌への施用量は水田圃場の作土の深さが15cmとした場合において、10a当たり150〜550kgが好ましく、さらに前記節水条件は水田土壌表面が湛水しない程度から陸稲栽培に相当する程度の水管理が好ましい。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、ジフェニルアルシン酸関連有機ヒ素に汚染された水田において、植物体内への有機ヒ素の蓄積を抑制する稲の栽培方法に関する。
【背景技術】
【0002】
茨城県神栖町(現神栖市)において、平成14年ごろより有機ヒ素化合物を含む井戸水の飲用による中毒事件が発生した。筑波大学病院に入院した患者に見られた中枢神経症状は、入院後1,2週間で回復に向かったが、退院後1,2か月で症状が再び悪化したことから飲用水汚染が疑われ、井戸水から高濃度のジフェニルアルシン酸(以後DPAAと略称することがある。)及びビスジフェニルアルシンオキシド(以後BDPAOと略称することがある。)、フェニルアルソン酸(以後PAAと略称することがある。)が検出された(非特許文献1を参照。)。
【0003】
ジフェニルアルシン酸(DPAA)は、有機ヒ素化合物の一つで、通常自然界には存在しない。戦後にDPAAが大量に製造された事実は確認されておらず、旧日本軍の毒ガス弾等に使用された特定化学物質の中間原料、またはその分解産物の可能性が高いことがわかった(非特許文献2を参照。)。
【0004】
神栖町の4ヶ所の水田における平成16年産米からも、ジフェニルアルシン酸(DPAA)及びメチルフェニルアルシン酸(以後MPAAと略称することがある。)が検出された(非特許文献3、及び4を参照。)。16年産米の分析値に比べ微量ではあるが、17年産米でも同町の2ヶ所の水田産米から、有機ヒ素が検出された(非特許文献5を参照。)。米の有機ヒ素汚染は、井戸水を灌漑水に使用した水田が有機ヒ素に汚染されたためにおこったものと考えられる。また、神栖町の4ヶ所の水田からの15年産米を常食にしていた人間の生体試料からも、フェニルメチルアルシン酸(MPAA)が検出された(非特許文献6を参照。)。
【0005】
前記ジフェニルアルシン酸等と関連する有機ヒ素化合物に汚染された水田において、栽培される稲への有機ヒ素化合物の蓄積、特に玄米への蓄積を抑制することは喫緊の課題であった。なおジフェニルアルシン酸等と関連する有機ヒ素化合物とは、前記DPAA、PAA、MPAA、BDPAOの他に、ジメチルフェニルアルシンオキシド(以後DMPAOと略称することがある。)、 メチルジフェニルアルシンオキシド(以後MDPAOと略称することがある。)等の有機ヒ素化合物を挙げることができる。以後前記有機ヒ素化合物を総称して、ジフェニルアルシン酸関連有機ヒ素化合物、又は単に関連有機ヒ素化合物ということがある。
【0006】
前記有機ヒ素化合物で汚染された土壌からの有機ヒ素化合物の溶出を抑制するために、粒子径250〜850μmの活性炭を主成分とする有機ヒ素化合物溶出抑制剤が提案されている(特許文献1を参照。)。しかしながら前記特許文献1発明は、35mLの遠沈管による土壌からの有機ヒ素化合物の溶出に関するもので、また有機ヒ素化合物についてもDPAAのみのデータに過ぎず、具体的な有機ヒ素化合物の作物体内への蓄積に関する記載はない。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0007】
【特許文献1】特開2007−319752号公報
【非特許文献】
【0008】
【非特許文献1】Ishizaki M et al (2005) Detection ofbis(diphenylarsine)oxide, diphenylarsinic acid and phenylarsonic acid, compoundprobably derived from chemical warfare reagents, in drinking well water, L.Health Sci., 51, 130-137
【非特許文献2】環境省(2005) 茨城県神栖町における汚染メカニズム解明のための調査 中間報告書
【非特許文献3】茨城県記者発表資料 (2004) 神栖町における農業井戸水等のジフェニルアルシン酸(DPAA)の分析結果について(平成16年9月16日)
【非特許文献4】環境省報道発表資料 (2004) フェニルメチルアルシン酸(PMAA)の検出について(平成16年12月14日)
【非特許文献5】茨城県資料提供 (2005) 神栖市B地区南西端周辺の17年産米分析結果とその対応について(平成17年11月16日)
【非特許文献6】環境省報道発表資料 (2005) 生体試料からのフェニルメチルアルシン酸(PMAA)の検出について(平成17年5月10日)
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0009】
本発明は、ジフェニルアルシン酸関連有機ヒ素に汚染された水田において、栽培稲体内、特に玄米への有機ヒ素の蓄積を、実質的に人体に無害な程度に抑制する稲の栽培方法を提供することを課題とする。
【課題を解決するための手段】
【0010】
本発明は以下の通りである。
<1> 本発明は、ジフェニルアルシン酸関連有機ヒ素に汚染された水田において、移植前の土壌に活性炭を施用することを特徴とする玄米への関連有機ヒ素の蓄積を抑制する稲の栽培方法である。
<2> さらに本発明は、前記水田における移植後の水管理を生育期間中にわたり節水条件とする稲の栽培方法である。
<3> さらに本発明は、前記活性炭が、粒子径1μmから400μm及び/又は比表面積が3000cm2/cm3以上の粉末活性炭である稲の栽培方法である。
<4> さらに本発明は、前記活性炭の水田土壌への施用量が、水田圃場の作土の深さが15cmとした場合において、10a当たり150〜550kgである稲の栽培方法である。
<5> さらに本発明は、前記節水条件が、水田土壌表面が湛水しない程度から陸稲栽培に相当する程度の水管理を維持する稲の栽培方法である。
【発明の効果】
【0011】
本発明により、ジフェニルアルシン酸関連有機ヒ素に高度に汚染された水田において栽培された稲は、ジフェニルアルシン酸関連有機ヒ素の玄米への蓄積が、実質的に人体に無害な程度にまで抑制することができる。
【図面の簡単な説明】
【0012】
【図1】玄米抽出液のHPLC-ICPMSクロマトグラムである。
【発明を実施するための最良の形態】
【0013】
本発明は、ジフェニルアルシン酸関連有機ヒ素に汚染された水田において、移植前の土壌に活性炭を施用し、移植後の水管理を生育期間中にわたり節水条件とすることを特徴とする、植物体、特に玄米へのジフェニルアルシン酸関連有機ヒ素の蓄積を抑制する稲の栽培方法である。以下本発明の実施のための形態について説明する。
【0014】
前記活性炭としては、粉末活性炭及び粒状活性炭のいずれの活性炭も用いることができるが、中でも粉末活性炭がより好ましい。前記粉末活性炭としては、粒子径が1μmから400μm、及び/又は比表面積が3000cm2/cm3以上であることが好ましく、粒子径が1μmから250μm及び/又は比表面積が4000cm2/cm3以上であることがより好ましい。
【0015】
前記活性炭の水田土壌への施用量は、水田圃場の作土の深さが15cmとした場合において、10a当たり150〜550kgが好ましく、250〜350kgがより好ましい。
【0016】
前記活性炭の水田土壌中への施用方法としては、全面全層施用で、圃場の作土に均一に施用することが好ましい。また施用時期は、稲苗の移植前に施用するが、特に代掻き前に施用することが好ましい。
【0017】
前記活性炭を水田土壌中に施用した稲の栽培における水分管理は、湛水条件の下で栽培することも可能であるが、湛水期間が短いほど好ましく、節水条件で栽培することがより好ましい。前期節水条件としては、水田の土壌表面に湛水されない程度から陸稲栽培に相当する程度が好ましい。
【実施例】
【0018】
本発明の内容を以下の実施例で更に具体的に説明するが、本発明は以下の実施例に限定されるものではない。
<活性炭の選抜>
(実施例1)
供試土壌は、ジフェニルアルシン酸(DPAA)汚染地下水を灌漑水として数年にわたり用いた神栖市汚染水田土壌(褐色低地土、有機ヒ素含有量;DPAA0.3 mg/kg, PAA 0.7 mg /kg, MPAA 0.9 mg /kg DMPAO 0.2 mg /kg, MDPAO0.3 mg /kg) を使用した。
【0019】
活性炭は、活性炭A(粉状活性炭、味の素ファインテクノ(株)製:商品名、粉状活性炭SS−1、粒子径1μmから200μm、比表面積4100cm2/cm3)、及び活性炭B(ヤシ殻活性炭、フタムラ化学(株)製:商品名、CLP、粒子径1μmから120μm、比表面積8300cm2/cm3)をそれぞれ供試した。また比較対照のため、活性炭を使用しない以外は実施例と同様の処理及び測定とした無添加区を設けた。
【0020】
前記土壌9gに水30mL を加えたものに、前記活性炭をそれぞれ18mg加え、室温で1時間振とう後、遠心した。遠心後の上清をメンブランフィルターで濾過し、下記文献Aに記載のHPLC‐ICPMSにより、形態別有機ヒ素濃度を測定した。
(文献A)Baba, K.; Arao, T.; Maejima, Y.; Watanabe, E.; Eun,H., Ishizaka, M. Arsenic speciation in rice and soil containing relatedcompounds of chemical warfare agents. Anal.Chem., 2008, 80, 5768-5775
【0021】
具体的には、HPLCカラムにはSunFire C18 column (日本ウォーターズ(株)製)を用い、0.1%ギ酸−メタノールのグラディエント溶出により各形態別有機ヒ素を分離した後、ICPMSにより定量を行った。分析のための標準物質としては、DMPAO:ジメチルフェニルアルシンオキシド、MPAA:メチルフェニルアルシン酸、PAA:フェニルアルソン酸、MDPAO:メチルジフェニルアルシンオキシド、DPAA:ジフェニルアルシン酸のいずれも、林純薬工業(株)製の分析用標準試薬を用いた。結果を表1に示す。
【0022】
【表1】

【0023】
表1から、活性炭A、活性炭Bを加えると、汚染土壌からのDMPAO、MDPAO、及びDPAAの溶出は、検出できないレベルにまで抑制された。またMPAAの溶出は、無添加に比べ10%程度に抑制された。活性炭A、活性炭B間においては、DMPAO、MDPAO、及びDPAAでは、いずれも検出できないレベルにまで吸着され、差は認められなかった。MPAAでは、活性炭Aで1.1ng/g、活性炭Bで2.1ng/gが検出され、該検出量は無添加に比べ、活性炭Aが6.4%、活性炭Bが11.9%であり、活性炭Aと活性炭Bとは、ほぼ同等の抑制効果であった。
【0024】
(実施例2)
<稲のポット栽培試験1>
供試土壌として前記神栖市汚染水田土壌(褐色低地土)を用い、稲のポット栽培試験を、異なる水分管理条件でおこなった。
【0025】
前記土壌を1/5000aワグネルポットに充填し、元肥としてポット当たり窒素0.2g、 リン0.04g、カリウム0.08g を施肥し、5月26日に水稲(品種:コシヒカリ)を定植した。定植後、前記ワグネルポットの水分管理を収穫時まで継続して湛水とした湛水区と、水分管理を、定植後田面水がなくなるまで水分補給を停止し、それ以降収穫時まで同時に栽培している湛水区の水分減少相当分の水分を補給することとした節水区とを設け、茨城県つくば市内の農業環境技術研究所構内の網室で栽培した。前記節水区は湛水期間がほとんどなく、農家での水田水管理としては陸稲栽培に相当する。その間7月19日に窒素0.2gを追肥した。
【0026】
前記により栽培した水稲について、9月13日に刈り取り、収穫したわら及び玄米をボールミルで粉砕後、試料0.5g当たり濃硝酸5mLを添加して100℃で4時間抽出し、水で約5倍に希釈後、前記文献Aに記載の方法で形態別有機ヒ素濃度を測定した。結果を表2に示す。
【0027】
【表2】

【0028】
表2の結果より、湛水区は節水区に比べ、わら、玄米ともに有機ヒ素が高濃度に蓄積した。有機ヒ素の形態別には、両区ともに、わらにはDMPAO、MDPAO、MPAAが蓄積したが、玄米にはMPAAのみが蓄積した。玄米へのMPAAの蓄積は、湛水区が節水区に比べ約7倍であった。
【0029】
(実施例3)
<稲のポット栽培試験2>
供試土壌として、非汚染灌漑水を使用しており有機ヒ素に汚染されていない神栖市非汚染水田土壌に、該土壌1kg当りに、DPAAを1.6 mg添加(DPAA区)、 PAAを 2.2 mg添加(PAA区)、 MPAAを 0.6 mg添加(MPAA区)、DMPAOを 0.6 mg添加(DMPAO区)、MDPAOを0.6 mg添加(DPAA区)、及び有機ヒ素化合物を無添加(無添加区)処理をした土壌をそれぞれ用い、実施例2の湛水区と同様にして稲を栽培、収穫し、収穫後の玄米を実施例2と同様に分析した。結果を表3に示す。
【0030】
【表3】

【0031】
表3から、DPAAを高濃度(1.6 mg /kg)に添加したDPAA区では、DPAAが玄米に蓄積するが、それ以外の区ではMPAA以外の有機ヒ素化合物は玄米にはほとんど蓄積しなかった。
【0032】
(実施例4)
<稲のポット栽培3>
汚染土壌として前記神栖市汚染水田土壌を、対照として前記神栖市非汚染水田土壌を用いた。前記汚染土壌各10Lに対し、前記活性炭Aを、1区:20g、2区:4g、3区:0gをそれぞれ添加して、また4区:非汚染土壌に活性炭添加せず、を供試土壌とした。該各供試土壌を1/2000aワグネルポットに充填し、元肥としてポット当たり窒素0.5g、リン0.1g、カリウム0.2gを施肥し、5月14日に水稲(品種:コシヒカリ)を定植した。定植後実施例2の湛水区と同様にして水稲を栽培した。
【0033】
前記各土壌で栽培した水稲について、収穫期に刈り取り玄米を収穫し、実施例2と同様として玄米の形態別有機ヒ素濃度を測定した。玄米抽出液のHPLC-ICPMSクロマトグラムを図1に、玄米中の形態別有機ヒ素濃度を表4に示す。
【0034】
【表4】

【0035】
図1から、非汚染土壌・活性炭無添加で栽培した4区の稲玄米には、天然に存在するヒ素化合物である無機ヒ素、ジメチルアルシン酸(DMA)、及びメチルアルソン酸(MAA)が含まれる(図1、第4段)。前記天然に存在するヒ素化合物の稲玄米含有量は、農林水産省が公表している国産農産物の総ヒ素含有実態の値と同等で、人体への健康リスクは大きくに差はない。しかし汚染土壌・活性炭無添加で栽培した3区の稲玄米には、前記天然に存在するヒ素化合物以外に、多量のMPAAが検出された(図1、第1段)。
【0036】
活性炭処理をした1〜4区のMPAA濃度を示す表4から、汚染土壌に活性炭を加えて稲を栽培すると、活性炭の量に応じてMPAAの玄米への蓄積は低減し、活性炭Aを20g/10Lを添加した1区は、無添加の3区に比べて2%にMPAAの濃度が低減し、実質的に人体に無害な程度にまで抑制されていた。
【0037】
(実施例5)
<稲のポット栽培4>
前記汚染土壌3Lに対し、前記活性炭Bを、1区:6g、2区:0gをそれぞれ添加して供試土壌とした。該各供試土壌を1/5000aワグネルポットに充填し、実施例2の湛水区と同様にして水稲を栽培し、玄米を収穫した。玄米の形態別有機ヒ素濃度の測定は実施例2と同様とした。結果を表5に示す。
【0038】
【表5】

【0039】
表5から、活性炭Bを6g/3L添加した1区は, 無添加の2区に比べ3%にMPAAの濃度が低減し、実質的に人体に無害な程度にまで抑制されていた。
【産業上の利用可能性】
【0040】
ジフェニルアルシン酸関連有機ヒ素に汚染された水田において栽培された稲についても、ジフェニルアルシン酸関連有機ヒ素の稲植物体内、特に玄米への蓄積を、実質的に人体に無害な程度にまで抑制することができる。



【特許請求の範囲】
【請求項1】
ジフェニルアルシン酸関連有機ヒ素に汚染された水田において、移植前の土壌に活性炭を施用することを特徴とする玄米への関連有機ヒ素の蓄積を抑制する稲の栽培方法。
【請求項2】
前記水田における移植後の水管理が生育期間中にわたり節水条件である請求項1に記載の稲の栽培方法。
【請求項3】
前記活性炭が、粒子径1μmから400μm及び/又は比表面積が3000cm2/cm3以上の粉末活性炭である請求項1又は請求項2に記載の稲の栽培方法。
【請求項4】
前記活性炭の水田土壌への施用量が、水田圃場の作土の深さが15cmとした場合において、10a当たり150〜550kgである請求項1乃至請求項3のいずれかに記載の稲の栽培方法。
【請求項5】
前記節水条件が、水田土壌表面が湛水しない程度から陸稲栽培に相当する程度の水管理である請求項2乃至請求項4のいずれかに記載の稲の栽培方法。


【図1】
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【公開番号】特開2010−239901(P2010−239901A)
【公開日】平成22年10月28日(2010.10.28)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2009−92123(P2009−92123)
【出願日】平成21年4月6日(2009.4.6)
【新規性喪失の例外の表示】特許法第30条第1項適用申請有り 
【出願人】(501245414)独立行政法人農業環境技術研究所 (60)