説明

植物の代謝解析方法、ラベル植物の製造方法、ラベル植物、および、植物のNMR測定方法

【課題】NMRを利用した植物の代謝解析方法において、13C、15Nのような天然存在比率の少ない核種について測定感度を向上させた代謝解析方法を提供する。
【解決手段】種子または発芽苗から植物を生育する過程において、少なくとも1種の安定同位体によってラベルした栄養源を植物に供給することによって、安定同位体で均一にラベルしたラベル植物を製造し、ラベル植物の個体、個体の一部、または、抽出物について、NMR測定を行うことにより、安定同位体を含有する生体物質の核磁気共鳴情報を取得し、核磁気共鳴情報を用いて、植物における生体物質の代謝を解析する。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、NMRを利用した植物の代謝解析方法、および、当該解析方法に用いるラベル植物、ラベル植物の製造方法、植物のNMR測定方法に関する。
【背景技術】
【0002】
ポストゲノム時代の今日、生物をシステムとして捕らえた研究が必要である。生物の代謝物を網羅的に観測するメタボロームもその一つである。植物は、太陽エネルギーを利用して光合成により有機物を作る貴重な生物である。植物は、食物連鎖の出発点であり、ヒトも含めて全ての動物は、植物がつくった有機物を直接的または間接的に栄養源としてとり入れて生きている。したがって、その植物の代謝を解析することは、食料、医療の観点から、非常に重要である。
【0003】
現在のメタボロミクス研究においては、質量分析計を用いて生体代謝物を解析する手法(以下、MS法と略す)が中心である。MS法は、イオン化させた化合物の分子量の違いによる、飛行時間の差を利用して代謝物を観測する方法である。近年は、溶媒に対する溶解性等で大まかに分画した生体内代謝成分について、分離のための液体クロマトグラフィー(LC)と直結したLC−MSにより網羅的解析を行うことが出来るようになり、代謝物の同定や変動解析が簡便化されている。
【0004】
しかしながら、MS法は、イオンサプレッションと呼ばれる化合物種によるイオン化の度合いの差が顕著で、なおかつ複雑に重なりあったシグナル分離の方法論が発達していないため、混合物試料の定量的な解析が困難であった。また、MS法は、イオン化が必要であるため、原理的に非侵襲計測が不可能であり、in vivo計測ができないといった問題があった。さらに、MS法では分子量と半定量的な存在量の情報のみしか得られず、分子の運動性を定量することは原理的に不可能である。
【0005】
一方、MS法以外の解析手法として、近年、H−NMR法を利用した代謝物解析方法も報告されているが(非特許文献1〜3)、やはり分解能が十分でなく、スペクトルのパターン認識により主成分について統計解析を行っているに過ぎないのが実情である。
【0006】
【非特許文献1】Defernez, M. and Colquhoun, I.J. (2003) Factors affecting the robustness of metabolite fingerprinting using 1H NMR spectra. Phytochemistry 62: 1009-1017.
【非特許文献2】Ott, K.-H., Aranibar, N., Singh, B. and Stockton, G. W. (2003) Metabolomics classifies pathways affected by bioactive compounds. Artificial neural network classification of NMR spectra of plant extracts. Phytochemistry 62: 971-985.
【非特許文献3】Ward, J.L., Harris, C., Lewis, J. and Beale, M.H. (2003) Assessment of 1H NMR spectroscopy and multivariate analysis as a technique for metabolite fingerprinting of Arabidopsis thaliana. Phytochemistry 62: 949-957.
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0007】
ところで、タンパク質の同定や構造解析の分野では、多次元NMR法が汎用されている。多次元NMR法は、優れた再現性・定量性を示すため、これをメタボロミクス研究に応用することができれば、今まで計測が困難であった複雑な混合物の生体物質についても代謝を解析することが可能になると考えられる。しかし、多次元NMR法で用いる13C、15N等の核種は、天然存在比率が少ないため、検出感度が著しく低いといった問題がある。
【0008】
天然存在比率の少ない核種についてNMR測定を行う場合、測定感度を向上させるため、測定対象である特定の化合物を安定同位体でラベルする方法が、従来から一般的に用いられている。例えば、13Cの天然存在比は1.1%、15Nの天然存在比は0.4%であるため、仮に100%の標識化が行われれば、13Cでは100倍の、15Nでは250倍もの核の存在量を観測することができる。測定対象である特定の化合物をラベルする方法としては、例えば、遺伝子操作した大腸菌等によって測定対象となるタンパク質の発現系を確立し、安定同位体標識した栄養を加えた培地で当該タンパク質を発現させることにより、安定同位体でラベルしたタンパク質を得る方法等がある。
【0009】
しかし、生物の代謝物を網羅的に観測するメタボロミクスの分野では、特定の化合物のみをラベルするだけでは足らず、生体に含まれる全ての代謝物をラベルする必要がある。このように、植物の個体全体をラベルする方法については、従来まったく報告がなく、その方法が確立されていないが実情である。
【0010】
本発明は、上記に鑑みてなされたものであって、NMRを利用した植物の代謝解析方法において、植物全体を均一にラベルすることにより、検出感度を向上させることを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0011】
上記課題を解決するために鋭意研究の結果、本発明者らは、種子または発芽苗から植物を生育する過程において、少なくとも1種の安定同位体によってラベルした栄養源を植物に供給することによって、個体内に安定同位体を均一に取り込ませたラベル植物が得られることを見出し、この知見に基づいて本発明を完成させるに至った。
【0012】
すなわち、本発明は下記の通りである。
【0013】
〈1〉 種子または発芽苗から植物を生育する過程において、少なくとも1種の安定同位体によってラベルした栄養源を前記植物に供給することによって、前記安定同位体で均一にラベルしたラベル植物を製造し、前記ラベル植物の個体、個体の一部、または、抽出物について、NMR測定を行うことにより、前記安定同位体を含有する生体物質の核磁気共鳴情報を取得し、前記核磁気共鳴情報を用いて、前記植物における前記生体物質の代謝を解析することを特徴とする、植物の代謝解析方法。
【0014】
〈2〉 前記ラベル植物は、前記安定同位体によるラベル化率が、前記安定同位体の天然存在比率の2倍以上であることを特徴とする、〈1〉に記載の植物の代謝解析方法。
【0015】
〈3〉 前記安定同位体でラベルした栄養源は、13Cでラベルした炭素源であることを特徴とする、〈1〉または〈2〉に記載の植物の代謝解析方法。
【0016】
〈4〉 前記植物は、エチレン非感受性株であることを特徴とする、〈3〉に記載の植物の代謝解析方法。
【0017】
〈5〉 前記安定同位体でラベルした栄養源は、15Nでラベルした窒素源であることを特徴とする、〈1〉〜〈4〉のいずれか一項に記載の植物の代謝解析方法。
【0018】
〈6〉 前記種子または発芽苗が、予め前記安定同位体によってラベルされていることを特徴とする、〈1〉〜〈5〉のいずれか一項に記載の植物の代謝解析方法。
【0019】
〈7〉 種子または発芽苗から植物を生育する過程において、少なくとも1種の安定同位体でラベルした栄養源を前記植物に供給することによって、前記安定同位体で均一にラベルしたラベル植物を製造することを特徴とする、ラベル植物の製造方法。
【0020】
〈8〉 〈7〉に記載の方法によって得られるラベル植物。
【0021】
〈9〉 〈7〉に記載の方法によって得られるラベル植物の一部。
【0022】
〈10〉 種子または発芽苗から植物を生育する過程において、少なくとも1種の安定同位体でラベルした栄養源を前記植物に供給することによって、前記安定同位体で均一にラベルしたラベル植物を製造し、前記ラベル植物の個体、個体の一部、または、抽出物について、NMR測定を行うことにより、前記安定同位体を含有する生体物質の核磁気共鳴情報を取得することを特徴とする、植物のNMR測定方法。
【発明の効果】
【0023】
本発明により、植物体内に安定同位体を均一に取り込んだラベル植物を製造することができるため、13C、15Nのような天然存在比率の少ない核種についても検出感度を向上することができる。また、非侵襲計測が可能であるため、MS法では不可能であったin vivo計測が可能となる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0024】
以下に、本発明の実施形態について説明する。本発明の植物の代謝解析方法は、安定同位体で均一にラベルしたラベル植物について、NMR測定を行うことにより、植物における生体物質の代謝を解析するものである。
【0025】
まず、NMR測定に使用するラベル植物について説明する。本発明に使用するラベル植物は、安定同位体で均一にラベルした植物である。ここで、「安定同位体で均一にラベル」するとは、植物体を構成する化合物のうち、当該安定同位体元素を含む全ての化合物について、ラベル化率が上昇するよう、安定同位体を取り込ませることを意味する。植物は死細胞に新しい細胞が積み重なりながら成長するため上部と下部でラベル化率が異なるのが通常であり、また、1次代謝物と2次代謝物では代謝時間によりラベル化率が異なるものであるが、本発明においては、植物体を構成する化合物のうち、安定同位体元素を含む全ての化合物についてラベル化率が上昇している限り、「安定同位体で均一にラベル」された状態に該当する。
【0026】
このようなラベル植物は、種子または発芽苗から植物を生育する過程において、少なくとも1種の安定同位体によってラベルした栄養源を、植物に供給することによって、製造することができる。
【0027】
本発明においては、種子または発芽苗の段階から、ラベルした栄養源を供給することにより、植物の個体内に安定同位体を均一に取り込ませることができる。
【0028】
ラベル化の対象となる植物は、特に限定されず公知の植物を用いることができ、例えば、シロイヌナズナ、イネ、アルファルファ、グリーンマッペ、大豆、マスタード、ブロッコリー、ソバ等を例示することができる。
【0029】
植物の生育過程において、種子または発芽苗に、必要な栄養源を与え、植物の生育を促す。ここで、「栄養源」とは、植物の生育に必須の全ての物質を意味する。植物の生育に必要な栄養源は、光合成に用いるCOおよびHOと、植物の生長に必要な窒素源、燐酸源、カリウム源、マグネシウム源、カルシウム源、微量元素源、金属などの養分と、に大別することができる。
【0030】
本発明では、植物の生育に必要な栄養源の中から選ばれた少なくとも一種の栄養源を、安定同位体でラベルし、生育過程の植物に供給する。ラベルに用いる安定同位体は、測定感度を高めたい核種の安定同位体、または、当該核からのカップリング情報を抽出し得る安定同位体であり、例えば、H、Li、11B、13C、15N、17O、18O、29Si、33S、43Ca、47Ti、57Fe、63Cu、67Zn、77Se、79Br、109Ag、115Sn、129Xe、199Hg等を例示することができる。また、13Cおよび15Nのように、2種以上の安定同位体によって、植物をラベルしてもよい。
【0031】
栄養源のうち、COは葉から吸収される栄養源であり、CO以外は主として根から吸収される栄養源である。COのように葉から吸収される栄養源をラベルして用いる場合は、ラベルされたCO雰囲気下で植物を生育すればよい。また、根から吸収される栄養源をラベルして用いる場合は、ラベルされた栄養源を含む生育床で植物を生育すればよい。
【0032】
ラベルしたCOによってラベル植物を作製する場合、密閉容器内にラベルしたCOを供給し、この密閉容器内で植物を成長させることが好ましい。この場合、密閉容器内に植物が生産するエチレンが蓄積し、それが植物の生育に悪影響を及ぼすことがあるため、エチレン非感受性変異株を用いることが好ましい。
【0033】
本発明においては、測定感度を高めるため、ラベル植物のラベル化率を高めることが好ましい。好ましいラベル化率は、安定同位体の天然存在比に依存し、天然存在比率の2倍以上が好ましい。例えば、天然存在比が1.1%の13Cについてはラベル化率を2.2%以上、天然存在比が0.4%の15Nについてはラベル化率を0.8%以上とすることが好ましい。より好ましくは、ラベル植物のラベル化率を、当該核の天然存在比の10倍以上とすることが好ましい。
【0034】
ラベル化率の高いラベル植物を作製するには、植物の生育過程で供給される栄養源全体における安定同位体ラベル化率を高めてやればよい。例えば、植物に供給される栄養源のうち炭素原子を含む栄養源としては、葉から吸収されるCOの他、根から吸収される養分(例えば、グルコース、酢酸塩といった初期代謝物質)中にも炭素原子が含まれるのが一般的であるが、13Cで植物をラベルする場合は、これら炭素原子を含む栄養源を全種類ラベルすることにより、栄養源全体における安定同位体ラベル化率を高めることができる。
【0035】
本発明においては、種子または発芽苗から植物を生育する過程全体を通じ、供給する栄養源全体における安定同位体ラベル化率を高い割合に保つことが好ましい。具体的には、植物に供給される栄養源全体におけるラベル化率を、当該核の天然存在比の2倍以上、好ましくは10倍以上に保つことが好ましい。ラベルした栄養源の供給回数は、特に限定されず、最初に1回だけ供給してもよいし、栄養源全体におけるラベル化率を所定値以上に維持するため、生育過程の途中で追加供給してもよい。
【0036】
また、予め安定同位体でラベルされた種子(以下ラベル種子)や、ラベル種子から発芽した発芽苗を用いてラベル植物を作製することも好ましい方法の一つである。ラベル種子やラベル種子から発芽した発芽苗を用いることにより、ラベル植物のラベル化率をより一層高めることができる。ラベル種子は、例えば、成長したラベル植物から得ることができる。
【0037】
次いで、得られたラベル植物について、NMR測定を行うことにより、安定同位体を含有する生体物質の核磁気共鳴情報を取得する。本発明において、代謝解析の対象となる生体物質は、安定同位体によってラベルされた生体物質である。
【0038】
まず、得られたラベル植物からNMR測定用試料を作製する。NMR測定用試料としては、ラベル植物の個体をそのまま用いることもできるし、ラベル植物の一部(葉、花、茎、根、種子等)、あるいは、ラベル植物から得られる抽出物等を用いることができる。
【0039】
そして、ラベル植物から得られたNMR測定用試料について、NMR測定を行い、安定同位体を含有する生体物質の核磁気共鳴情報を取得する。NMR測定法は、特に限定されず、公知の測定方法を利用することができ、1次元観測法、多次元観測法のいずれも利用可能である。例えば、化学シフト帰属のために使われる種々の多次元観測法(例えば、DQF−COSY、TOCSY、NOESY、INADEQUATE、NOESY−HSQC、TOCSY−HSQC、HCCH−TOCSY、HCCH−COSYなど)を組み合わせることにより、よりシステマチックなシグナル帰属が可能となる。すなわち、公知のNMR測定法のなかから、観察したい代謝物に適した測定方法を選択すればよい。
【0040】
本発明では、NMR法を用いるため、生体物質について様々な代謝情報を得ることができる。NMR法によって得られる主な情報は、化合物種(化学シフト値)およびその量(ピーク強度)である。また、スペクトルの線幅と強度から、その化合物の生体内における運動性の情報も得ることができる。また、磁気共鳴イメージング法により、ラベル植物の植物体内における生体物質の分布をイメージングすることもできる。
【0041】
植物における生体物質の代謝の解析を行うには、代謝条件の異なる2つ以上の試料について、核磁気共鳴情報を取得し、これらの核磁気共鳴情報の差を解析すればよい。「代謝条件が異なる」とは、植物を取り巻く環境の変化や植物自体の成長により、同一個体における代謝が経時変化することによって代謝条件が異なる場合のみならず、同一個体の異なる部位同士で代謝条件が異なる場合や、遺伝的に異なる個体間で代謝条件が異なる場合をも含む。例えば、ラベル植物にストレスを与え、ストレスを与える前と、ストレスを与えた後との代謝物の量的な変化を差スペクトルにより解析することにより、ストレスが植物体内でどのような影響を与えるのか知ることができる。また、発芽期、展葉期、開花期のように、植物の成長過程において代謝物の量的な変化を観察することにより、植物の成長過程において、どのような生体物質が増減するのかを経時的に解析することができる。また、植物の野生株と変異株のそれぞれについてラベル植物を作成し、野生株と変異株の植物体内で発現するタンパク質の種類及び量の違いを解析することにより、遺伝的な違いが発現タンパク質にどのような影響を与えるのか知ることができる。
【0042】
以上説明したように、本発明によれば、植物体内に安定同位体を均一に取り込んだラベル植物を製造することができるため、13C、15Nのような天然存在比率の少ない核種についても検出感度を向上することができ、核スピン間のカップリング情報を得ることが可能となる。さらに、植物を安定同位体で均一にラベルすることにより、生物個体試料特有のH−H双極子相互作用の異方性に由来するHシグナルの広幅化を防ぐこともできる。また、非侵襲計測が可能であるため、MS法では不可能であったin vivo計測が可能となる。
【実施例】
【0043】
以下、実施例に基づき、本発明についてさらに詳細に説明する。なお、本発明は下記実施例に限定されるものではない。
【0044】
<実施例1> ラベル植物の作製
シロイヌナズナ(Arabidopsis thaliana)について、安定同位体で均一にラベルしたラベル植物を作製した。シロイヌナズナのラベルではエチレン非感受性変異株ein2−5株を用いた。
【0045】
シロイヌナズナコロムビア型ein2−5変異株を、バーミキュライト/パーライト(50%/50%(V/V))の生育床に播種し、発芽を促すために、3または4日間、4℃に保った。そして、ein2−5変異株の発芽苗を、22〜23℃、昼16時間/夜8時間のサイクルで生育させた。生育の過程において、下記組成(すべて最終濃度)の栄養塩を1週間に一度与えた。
【0046】
KNO 5mM
KPO(pH5.5)2.5mM
MgSO 2mM
CaCl 2mM
Fe EDTA 50μM
BO 70μM
MnCl 14μM
CuSO 0.5μM
ZnSO 1μM
NaMoO 0.2μM
NaCl 10μM
CoCl 10nM
【0047】
(1)13Cラベル植物の作製
13Cラベル化は、密閉型のアクリル製のチャンバーを作製し、チャンバーを340ppmの13COで充填し、その中で植物体を生育させることで行った。2〜3日ごとに340ppmの13COを送り込み、換気を行った。30日生育後のラベル植物の13Cラベル化率は約30%であった。
【0048】
図1に、ラベル植物のHCCH−COSYスペクトルの経時変化を示す。生育日数の増加に伴い、植物体内に13Cが徐々に取り込まれていく様子が観察できる。また、図2に、ラベル植物の各組織における13C−HCCH−COSYスペクトルを示す。各組織の種々の化合物に13Cが取り込まれているのが分かる。
【0049】
(2)15Nラベル植物の作製
15Nラベル化では、植物体が種子を形成して枯死するまで、上述の栄養塩KNO3のかわりに15KNO3を与えることにより、15Nラベル植物を作製した。30日生育後のラベル植物の15Nラベル化率は約98%であった。図3に、ラベル植物の各組織における15N−HSQCスペクトルを示す。各組織の種々の化合物に15Nが取り込まれているのが分かる。
【0050】
また、シロイヌナズナと同様の手法で、イネ、アルファルファ、グリーンマッペ、大豆、マスタード、ブロッコリー、ソバについても、均一にラベル植物を作製できることが確認できた。
【0051】
<実施例2>寒天培地でのラベル植物の作製
MS培地(ムラシゲ・スクーグ培地用混合塩類、1%(W/V)13C uniform labeled Glucose、0.5mM MES(pH5.8)、および0.8%(W/V) 寒天を含む)滅菌種子を播種し、発芽後暗所で2週間生育させた。13C−HCCH−COSYによって、各組織にむらなく13Cが取り込まれていることが確認できた。30日生育後のラベル植物の13Cラベル化率は約95%であった。
【0052】
<実施例3>13Cラベル化植物を用いた13C−HSQC測定
(1) in vitro NMR試料調製
まず、実施例1で得られた13Cラベル植物(シロイヌナズナ)を液体窒素により急速凍結させ、生物活動を停止させた。その後、自然融解した水分含有試料を2〜100mg計り取り、0.5mlの下記NMR用溶媒を加えて乳鉢で完全にすり潰しエッペンドルフチューブに移動した。親水・疎水分子両方を溶解可能な重水素化ジメチルスルホキシドを溶媒として用いた。エッペンドルフチューブの試料溶媒は15000gで5分遠心分離して沈殿物を除去し、5mm径のNMR管に入れてNMR試料とした。
【0053】
(2) 多次元NMR測定
Bruker社製500MHz−NMR装置、3軸グラジエント付き3核プローブを用いて多次元NMR測定を行った。2次元13C−HSQC測定はwater−flip−back法(Grzesiek & Bax,1993)により試料中に大量に含まれる水シグナルを除去し、通常1024ポイント(f2軸)x128−256ポイント(f1軸)、積算16〜160回で測定した。FIDデータはnmr Pipeプログラム(Delagrio et al. 1995)でフーリエ変換、ゼロフィリング処理してプロセッシングした。2次元NMR差スペクトルを得る時は、nmr Pipeプログラムのマクロを編集することにより遂行した。
【0054】
得られた2次元13C−HSQCスペクトルを図4に示す。図4の例では、nmrPipeソフトウエアでピークピッキングした場合に477個の交差シグナルが観測されている。13C−HSQC法では炭素に共有結合した水素とのカップリングが観測されるため、例えばGlnではCα、Cβ、Cγ炭素の3個のシグナルが観測されるが、Asnでは2個観測されるのみである。濃度の高い主要代謝物は単純な化学構造をしたものが多く、1化合物に対して平均2〜3個のシグナルが得られていると仮定すると、上述の13C−HSQCスペクトルではおよそ150〜200種の代謝物が観測できると考えられる。
【0055】
<実施例4>13Cラベル化植物のEtOHストレス応答
シロイヌナズナの野生株とEtOH高感受性株について、実施例1と同様の方法で13Cラベル植物を作製した。そして、実施例2と同様にして、in vitroのNMR試料を調製し、13C−HSQCスペクトルを得た。
【0056】
図5は、EtOH刺激応答時の代謝物変化を解析するため、野生株(左)とEtOH高感受性株(右)とで差スペクトルにどのような違いがみられるかを図示したものである。この場合、(通常栽培時の13C−HSQCスペクトル)から(EtOH添加栽培時の13C−HSQCスペクトル)を差し引いたものである。図5において、EtOH添加により減ったシグナルを正の等高線表示(黒塗り)、増えたシグナルが正の等高線表示(白抜き)で示す。EtOH高感受性株では、EtOH添加により、12CのEtOHから新たにGlnに加えてAsn、Pro、GABA(ガンマアミノ酪酸)といったストレス応答時に適合溶質として合成されるアミノ酸が生成し、その分13Cのシグナルが減るため正の等高線が現れる。これは、本方法が代謝物量の変化のみを示す単純な情報ではなく、EtOH等の化合物からの刺激応答により、新たに2次的に合成される代謝物まで追跡する事ができることを示すユニークな結果である。均一標識化のメリットが、このような点にまで及んでいる。
【0057】
<実施例5>15Nラベル種子の光環境応答
(1) in vivo NMR試料調製
15Nラベル化種子をin vivo測定するため、10%重水を加えた蒸留水180μLを直接乾燥種に加え、すぐに水溶液対応ミクロ試料管(シゲミ社製)にパスツールピペットで移動し、NMR試料とした。
【0058】
(2) in vivo試料のための多次元NMR測定
15Nラベル化種子のin vivo測定のためには、光環境応答を観測するためにハロゲン光源(Moritex社、MHF−D100LR)から2m長の光ファイバーをNMR超伝導マグネット内に挿入し、光強度0〜50マイクロmol/m/s、温度277−295Kに変化させて、発芽時の15N代謝動態変化をin vivo測定した。実施例2と同様の測定装置、データプロセッシングによって、15N−HSQCスペクトルを取得した。
【0059】
(3)植物種子のin vivo計測の例
図6に15Nラベル種子のin vivo 15N−HSQCスペクトルを示す。15N−HSQCスペクトルでは、窒素と水素とのカップリングのみが交差シグナルとして観測される。このスペクトルからは、A:化合物の生体内における運動性(線幅と強度)、B:化合物種(化学シフト値)、C:その量(強度)、D:経時観測による代謝動態(化学シフト、強度の時間変化)、の大別して4種の4次元的情報を得ることができる。まず、図6において、a(0hr)の時点で種子は吸湿中であり、低分子の運動性でさえ満足ではないので、Asn、Glnの側鎖シグナルしか観測できていない。b(12hr)の時点ではArgの側鎖シグナルも観測されはじめている。さらに、c(72hr)では系の温度上昇に伴いペプチド主鎖のシグナルが明瞭になり始め、NMRマグネットに挿入した光ファイバー装置による光照射に伴い、d(78hr)ではペプチド量が最大になっていることが、シグナル強度の上昇からわかる。さらに光照射により発芽が始まり、タンパク合成が盛んになるとペプチドやアミノ酸はその材料として用いられ、運動性の低い高分子量タンパク質になるためにシグナル強度が減少し続けている(e(115hr),f(150hr))。
【産業上の利用可能性】
【0060】
以上のように、本発明は、NMRを利用した植物の代謝解析に有用であり、特に、植物の代謝異常の発見、原因究明、あるいは、代謝工学、農産物の生育観測・品質管理、農薬の効果解析、食品品質・栄養管理、遺伝子組み換え作物の品質管理などの応用研究、さらにシステムバイオロジーをはじめとする生命活動のシミュレーションなどの基礎研究に利用することができる。
【図面の簡単な説明】
【0061】
【図1】ラベル植物の13C−HCCH−COSYスペクトルの経時変化を示す図である。
【図2】ラベル植物の各組織におけるHCCH−COSYスペクトルを示す図である。
【図3】ラベル植物の各組織における15N−HSQCスペクトルを示す図である。
【図4】ラベル植物の13C−HSQCスペクトルを示す図である。
【図5】野生株の13C−HSQCスペクトルと、EtOH高感受性株の13C−HSQCスペクトルを示す図である。
【図6】ラベル植物の種子の15N−HSQCスペクトルを示す図である。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
種子または発芽苗から植物を生育する過程において、少なくとも1種の安定同位体でラベルした栄養源を前記植物に供給することによって、前記安定同位体で均一にラベルしたラベル植物を製造し、
前記ラベル植物の個体、個体の一部、または、抽出物について、NMR測定を行うことにより、前記安定同位体を含有する生体物質の核磁気共鳴情報を取得し、
前記核磁気共鳴情報を用いて、前記植物における前記生体物質の代謝を解析することを特徴とする、植物の代謝解析方法。
【請求項2】
前記ラベル植物は、前記安定同位体によるラベル化率が、前記安定同位体の天然存在比率の2倍以上であることを特徴とする、請求項1に記載の植物の代謝解析方法。
【請求項3】
前記安定同位体でラベルした栄養源は、13Cでラベルした炭素源であることを特徴とする、請求項1または2に記載の植物の代謝解析方法。
【請求項4】
前記植物は、エチレン非感受性株であることを特徴とする、請求項3に記載の植物の代謝解析方法。
【請求項5】
前記安定同位体でラベルした栄養源は、15Nでラベルした窒素源であることを特徴とする、請求項1〜4のいずれか一項に記載の植物の代謝解析方法。
【請求項6】
前記種子または発芽苗は、予め前記安定同位体でラベルされていることを特徴とする請求項1〜5のいずれか一項に記載の植物の代謝解析方法。
【請求項7】
種子または発芽苗から植物を生育する過程において、少なくとも1種の安定同位体でラベルした栄養源を前記植物に供給することによって、前記安定同位体で均一にラベルしたラベル植物を製造することを特徴とする、ラベル植物の製造方法。
【請求項8】
請求項7に記載の方法によって得られるラベル植物。
【請求項9】
請求項7に記載の方法によって得られるラベル植物の一部。
【請求項10】
種子または発芽苗から植物を生育する過程において、少なくとも1種の安定同位体でラベルした栄養源を前記植物に供給することによって、前記安定同位体で均一にラベルしたラベル植物を製造し、
前記ラベル植物の個体、個体の一部、または、抽出物について、NMR測定を行うことにより、前記安定同位体を含有する生体物質の核磁気共鳴情報を取得することを特徴とする、植物のNMR測定方法。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【公開番号】特開2006−53099(P2006−53099A)
【公開日】平成18年2月23日(2006.2.23)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2004−236188(P2004−236188)
【出願日】平成16年8月13日(2004.8.13)
【新規性喪失の例外の表示】特許法第30条第1項適用申請有り 2004年3月20日 第45回日本植物生理学会年会準備委員会発行の「第45回 日本植物生理学会年会要旨集」に発表
【出願人】(503359821)独立行政法人理化学研究所 (1,056)
【Fターム(参考)】