説明

農作物の栽培国または地域の判定方法

【課題】日本産と中国などの外国で栽培された農作物、例えば茶葉、の栽培国または地域を簡便かつ的確に判別する技術を提供する。
【解決手段】農作物の硫黄安定同位体比δ34Sを測定することにより、栽培国または地域の特定が可能となる。栽培国または地域が明確な農作物の硫黄安定同位体比δ34Sを分析し、データベースを構築するなどの手段により、栽培国または地域が不明な農作物の栽培国または地域を判別することができる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、農作物の栽培国または地域を判定する方法に関する。具体的には、農作物に含有される硫黄の安定同位体比δ34Sを測定し、その同位対比に基づいて農産物の栽培国または地域を判定する方法に関する。
【背景技術】
【0002】
近年、野菜や加工食品の原料となる農作物の輸入量が急増している。それに伴い、食品原料の原産地が偽装された事件が多発しているが、食品原料の原産地を簡便かつ高精度で判定する技術は確立されていない。又、残留農薬や危害物質による食品事故の影響などにより、農作物の産地を的確に判別可能な技術の開発が、特に望まれている。
【0003】
日本において植物や食品原料となる農作物の栽培地を判別する技術が、本格的に研究されはじめたのは、1990年代の後半からである。分析方法としては、無機元素組成分析を利用した判別法の開発研究が、先行して進められてきた。例えば、茶葉については、試料を一番茶に統一すれば、無機元素組成分析により外国産(中国産)と日本産の判別が可能であることが報告されている(非特許文献1および2)。
【0004】
また、植物や食品原料となる農作物中の安定同位体比を利用した産地判別技術が、多く報告されている。そして、近年連続フロー型の安定同位体比質量分析装置が開発されたことから、多種類の元素の安定同位体比を、比較的容易に分析することが可能となった。
【0005】
これらの技術を利用して、δ13C、δH、δ18Oより選ばれる複数の安定同位体比を組み合わせることにより、植物や食品、特に発酵アルコールの原料種および栽培地の特定を可能にする方法が提案された(特許文献1)。また、コメから抽出した水の安定同位体比、具体的にはδHおよびδ18Oの分析により、コメの生産地を特定する方法が提案された(特許文献2)。これらの先行技術においては、酸素または水素安定同位体比の分析が、発酵アルコールまたはコメの栽培地の特定に有効であることが示されている。
【0006】
一方、他の軽元素と比較すると、硫黄安定同位体比分析の有用性については、知見が少なく、学術論文や特許出願された技術も多くないが、農作物に関連した硫黄安定同位体比に関するものとして以下の報告が挙げられる。
【0007】
環境中の二酸化硫黄の影響を調べる目的で、苔類、地衣類や松の木の葉の硫黄安定同位体比が調べられており、地域により硫黄安定同位体比が異なることが知られている(非特許文献3、4および5)。
【0008】
硫黄安定同位体比を利用して農作物の原産地を判別しようという試みは少ないが、バターやチーズなどで検討された事例が報告されている。ただし、試料を直接分析した例はなく、試料中に含まれるカゼインなどの硫黄含有量が多い画分を分離して分析する方法が採用されている(非特許文献6、7、8、9)。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0009】
【特許文献1】特開2005-130755号公報
【特許文献2】特開2006-189351号公報
【非特許文献】
【0010】
【非特許文献1】木幡勝則(2005):茶の原産地判別の現状と今後の展望、TechnoInnovation, 15(2), 32-37.
【非特許文献2】木幡勝則(2008):緑茶の無機元素組成比および品種識別による産地判別、農林水産技術研究ジャーナル, 31(4), 28-31.
【非特許文献3】Trust B. A. and Fry B. (1992) Stable sulphur isotpopes in plants: a review. Plant, Cell and Environment, 15, 1105-1110.
【非特許文献4】中井信之(1984):硫黄の循環と人間生活, 現代科学, 165, 39-44.
【非特許文献5】Krouse H. (1977):Sulphur isotope abundance elucidate uptake of atmospheric sulphur emissions by vegetation. Nature, 265, 45-46.
【非特許文献6】Simon K., Karl H. and Jurian H. (2005) Tracing the geographical origin of food: The application of multi-element and multi-isotope analysis. Trends in Food Science & Technology, 16, 555-567.
【非特許文献7】Rossmann A., Haberhauer G., Holzl S., Horn P., Pichlmayer F., Voerkelius S. (2000) The potential of multielement stable isotope analysis for regional origin assignment of butter. Eur. Food Res. Technol., 211, 32-40.
【非特許文献8】Camin F., Wietzerbin K., Cortes A. B., Haberhauer G., Lees M., Versini G. (2004) Application of multielement stable isotope ratio analysis to the characterization of French, Italian and Spanish cheeses. J. Agric Food Chem., 52, 6592-6601.
【非特許文献9】Manca G., Franco M., Versini G., Camin F., Rossmann A., Tola A. (2006) Correlation between multielement stable isotope ratio and geographical origin in peretta cows’ milk cheese. J. Dairy Sci., 89, 831-839.
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0011】
本発明は、農作物、例えば茶葉の栽培国または地域を、簡便かつ高い精度で判別することを目的とする。特に、日本産と中国などの外国で栽培された農作物を、簡便かつ的確に判別する技術を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0012】
本発明者等は、上記課題を解決すべく、栽培国または地域が明らかな農作物を収集し、燃焼および熱分解型安定同位体比質量分析装置を用いて、炭素安定同位体比δ13C、窒素安定同位体比δ15N、硫黄安定同位体比δ34S、酸素安定同位体比δ18Oの測定を実施した。農作物が茶葉の場合、δ13C値を分析することによりC3植物であることが確認できるが、δ15Nまたはδ18O値と組み合わせても、中国産と日本産茶葉の原産地を完全に判別することは困難であった。ところが、硫黄安定同位体比δ34Sを測定し、統計解析により判別分析を行ったところ、驚くべきことに、茶葉の栽培国または地域の違いが明確に判別できることが判明し、本発明を完成するに至った。
【0013】
すなわち、本発明は次の[1]〜[8]である。
[1]農作物の栽培国または地域の判定方法であって、栽培国または地域が既知の農作物に含有される硫黄の安定同位体比δ34Sを測定する工程;同一種の農作物の試験サンプルに含有される硫黄の安定同位体比を測定する工程;およびそれらのデータを比較し、試験サンプルの硫黄安定同位体比と近似の硫黄安定同位体比を示す栽培国または地域を特定する工程;を含む、前記判定方法。
[2]農作物が茶葉である、[1]の判定方法。
[3]茶葉が日本産または中国産である、[2]の判定方法。
[4]茶葉の栽培国または地域の判定方法であって、以下の工程:
中国産および日本産の茶葉に含有される硫黄の安定同位体比δ34Sを測定する工程;
測定した硫黄安定同位体比の平均値と標準偏差を用いて中国産および日本産各々の前記平均値からのマハラノビスの汎距離が等しくなる境界値(Xとする)を
(X−日本産茶葉に含有される硫黄の安定同位体比の平均値)/日本産茶葉に含有される硫黄の安定同位体比の標準偏差
=(中国産茶葉に含有される硫黄の安定同位体比の平均値−X)/中国産茶葉に含有される硫黄の安定同位体比の標準偏差
で表す計算式により算出する工程;
中国産または日本産の茶葉の試験サンプルに含有される硫黄の安定同位体比を測定する工程;および
試験サンプルの硫黄安定同位体比がX ‰以上であった場合はその栽培国は中国であると判定し、
試験サンプルの硫黄安定同位体比がX ‰未満であった場合はその栽培国は日本であると判定する工程;
を含む、前記方法。
[5]農作物の栽培国または地域の判定方法であって、栽培国または地域が既知の農作物に含有される硫黄の安定同位体比δ34Sを測定する工程;得られたデータにより栽培国または地域と硫黄安定同位体比δ34Sのデータベースを構築する工程;同一種の農作物の試験サンプルに含有される硫黄の安定同位体比を測定する工程;および該データベースを用いて試験サンプルの硫黄安定同位体比から栽培国または地域を判定する工程;を含む、前記判定方法。
[6]農作物が茶葉である、[5]の判定方法。
[7]茶葉が日本産または中国産である、[6]の判定方法。
[8]さらに炭素安定同位体比δ13Cの測定値を組み合わせて判定する、[1]〜[7]のいずれかの判定方法。
【発明の効果】
【0014】
本発明は、農作物の硫黄安定同位体比δ34Sのみの値により、または、硫黄安定同位体比δ34Sと他の元素の安定同位体比を組み合わせることにより、農作物の栽培国または地域を判定する方法を提供できるものであり、本発明により外国産と国内産(日本産)の農作物を的確に判別することが可能となる。
【図面の簡単な説明】
【0015】
【図1】図1は、原産国が明確な緑茶葉の窒素安定同位体比δ15N値(単位:‰)および炭素安定同位体比δ13C値(単位:‰)をプロットした図である。
【図2】図2は、原産国が明確な緑茶葉の酸素安定同位体比δ18O値(単位:‰)および炭素安定同位体比δ13C値(単位:‰)をプロットした図である。
【図3】図3は、原産国が明確な緑茶葉の硫黄安定同位体比δ34S値(単位:‰)および炭素安定同位体比δ13C値(単位:‰)をプロットした図である。
【図4】図4は、原産国が明確な緑茶葉の硫黄安定同位体比δ34S値(単位:‰)および窒素安定同位体比δ15N値(単位:‰)をプロットした図である。
【図5】図5は、原産国が明確な緑茶葉の硫黄安定同位体比δ34S値(単位:‰)および酸素安定同位体比δ18O値(単位:‰)をプロットした図である。
【発明を実施するための形態】
【0016】
以下、本発明の実施の形態について、詳細に説明する。
農作物
本明細書でいう農作物とは、植物や食品原料となるものであって、種々の農作物そのものの全体、植物が種子や果実として蓄積する生産物、または植物体や農作物の葉、根および茎などの部分をいう。好適には、農作物の種子、果実、葉、根および茎を指す。好ましくは緑茶、半発酵茶または発酵茶を含む茶葉が用いられる。また、本発明では、これらを乾燥し、細かい粉末状にした試料が好適に用いられる。
栽培国または地域
農作物の栽培国または地域には、特に制限はない。農作物は、その栽培国または地域に特有な硫黄安定同位体比δ34Sを示すことから、いかなる地域の農産物であってもよい。
【0017】
具体例を挙げれば、茶葉の場合、茶葉を生産する国または地域であればどこの由来のものであってもよい。例えば、本発明によれば中国産または日本産の茶葉の栽培国または地域を特定することができる。
安定同位体比の測定
本発明では、農産物の硫黄安定同位体比δ34Sに基づいて栽培国または地域を特定する。
【0018】
安定同位体比の測定は、たとえば燃焼型または熱分解型安定同位体比質量分析装置を用いて行うことができる。本発明者らは、農作物、例えば茶葉などについて、硫黄安定同位体比を分析する場合は、元素分析計に導入する試料の重量を、一般に炭素安定同位体比を分析する条件の好ましくは4から6倍程度に増量することにより、試料を分画・精製することなく試料中に含まれる硫黄安定同位体比を分析することが可能となることを見出した。
【0019】
安定同位体比は、標準物質に対する偏差であらわされ、(式1)のδ値で示される。
δX(‰) = ( R試料 / R標準 - 1)×1000 (式1)
ここで、Xは炭素、窒素、酸素、硫黄に対して、それぞれ13C、15N、18O、34Sを表し、R試料、R標準はそれぞれサンプルと標準物質の安定同位体比、すなわち、13C/12C、15N/14N、18O/16O、34S/32Sを表す。パーミル(‰)は千分偏差である。標準物質としては、国際的にデータを比較できるように国際標準物質(international standard)を使用する。代表的な国際標準試料を表1に示す。酸素の標準物質としてはウイーン標準平均海水(Vienna Standard Mean Ocean Water:VSMOW)、炭素の標準物質としては南カロリナ州のPeeDee層から出土したヤシイ類の化石(Pee Dee Belemnite:PDB)、窒素では大気の窒素ガス、硫黄の標準物質としては、CDT(Canion Diablo Troilite)またはCDM(Canyon Diablo Meteorite)と表記されるDiablo峡谷隕石中のトロイライト(硫化鉄)が用いられている。しかし、国際標準物質は希少であるため、本願発明においては国際標準物質に対する安定同位体比が既知であるワーキングスタンダードを利用することができる。ワーキングスタンダードとしては、L-α-アラニン、安息香酸、スルファアニリドなどを使用することができ、これらワーキングスタンダードの分析値から試料の分析値を求める。
【0020】
【表1】

【0021】
本発明では、農産物の硫黄安定同位体比δ34Sに基づいて栽培国または地域を特定することができる。また、炭素、酸素、窒素から選択される安定同位体比と組み合わせて、さらに精度良く栽培国または地域を特定することができる。
農作物の栽培国または地域の判定方法
栽培国または地域の明らかな農作物の安定同位体比を測定し、未知の試料の安定同位体比の測定結果を比較することにより、当該未知試料の栽培国または地域を判定することができる。
【0022】
具体的な方法の例としては、栽培国または地域の明らかな農作物の安定同位体比を分析し、その分析値の統計解析をおこない、その試料の栽培国または地域を判定できる判別式を求める。その式に、未知の試料の分析値を導入すれば、その試料の栽培国または地域の判定が可能となる。判別分析には、「線形判別分析」または「マハラノビスの汎距離を比較する方法」を用いるのが一般的である。
【0023】
硫黄安定同位体比の分析値δ34Sのみを変数として、例えば「マハラノビスの汎距離」の比較により、農作物の栽培地を判定することができる。マハラノビスの汎距離は、統計解析用ソフトを用いれば、容易に計算が可能である(菅民郎:「多変量解析の実践」(現代数学社))。
【0024】
具体的には、中国産茶葉と日本産茶葉を判別する場合、予め中国産および日本産の茶葉に含有される硫黄の安定同位体比δ34Sを測定し、測定した硫黄安定同位体比の平均値と標準偏差を用いて中国産および日本産各々の前記平均値からのマハラノビスの汎距離が等しくなる境界値(Xとする)を算出し、中国産または日本産の茶葉の試験サンプルに含有される硫黄の安定同位体比を測定し、硫黄安定同位体比がX ‰以上であれば中国産、X ‰未満であった場合は日本産と判定することができる。
【0025】
また、硫黄安定同位体比δ34Sと、炭素、酸素、窒素から選択される安定同位体比とを組み合わせて用いる場合には、たとえば、各試料について測定されたδ34S値を、δ13C値、δ18O値、またはδ15Nと組み合わせた散布図を作成して、散布図上における相対的な位置関係から判断することができる。
【0026】
本発明を以下の実施例により、さらに具体的に説明するが、本発明はこれらに限定されるものではない。
【実施例】
【0027】
以下に、本発明を実施する上で必要な項目、例えば試料の調製方法、分析装置の設定条件などについて詳しく説明する。しかし、本発明はこれらの条件に限定されるものではない。
試料の調製
原産国が明確な中国産および日本産緑茶葉を、粉砕機などの機械を用いて粉砕し、乾燥したものを分析用試料として用いた。硫黄安定同位体比を分析する場合は6から9mg、炭素および窒素安定同位体比を分析する場合は0.5から4mgの試料を秤量し、各々の試料をすず箔(Universal Tin container light、Thermo Fisher Scientific(株)製)に包んだものを分析用試料とした。また、酸素安定同位体比を分析する場合は0.1から0.4mgの試料を秤量し、銀箔(Silver capsules for solids、Thermo Fisher Scientific(株)製)に包んだものを分析用試料とした。
分析装置の設定条件
炭素、窒素および硫黄安定同位体比の分析には、ガス制御装置(ConFloIII、Thermo Fisher Scientific(株)製)を介して接続した元素分析計(FlashEA、Thermo Fisher Scientific(株)製)と安定同位体比質量分析計(Delta V advantage, Thermo Fisher Scientific(株)製)を使用した。本発明における元素分析計を用いた測定条件を表2に示す。なお、硫黄安定同位体比分析では、硫黄安定同位体比分析用のテフロン(登録商標)製分離カラムを使用した。
【0028】
【表2】

【0029】
また、酸素安定同位体比の分析には、ガス制御装置(ConFloIII、Thermo Fisher Scientific(株)製)を介して接続した熱分解元素分析計(TC/EA、Thermo Fisher Scientific(株)製)と安定同位体比質量分析計(Delta V advantage, Thermo Fisher Scientific(株)製)を使用した。本発明における熱分解元素分析計を用いた測定条件を表3に示す。
【0030】
【表3】

【0031】
分析条件
何れの元素の安定同位体比分析も一回の分析の中で標準ガスと試料由来のガスの測定を行い、標準ガスとの比較により試料中の安定同位体比を決定した。
【0032】
炭素および窒素安定同位体比は同時に分析を行った。標準ガスは窒素および二酸化炭素である。
硫黄安定同位体比の分析は、硫黄安定同位体比のみを測定する条件で行った。標準ガスは二酸化硫黄である。二酸化炭素の影響を抑制するため、試料由来の二酸化硫黄ガスを検出し始める直前まで、ヘリウムによる希釈を行った。
【0033】
酸素安定同位体比の分析も、酸素安定同位体比のみを測定する条件で行った。標準ガスは一酸化炭素である。
分析値の補正
安定同位体比の分析値は、毎回分析する標準ガスとの比較により決定した。標準ガスの安定同位体比は国際標準試料を用いて決定できるが、入手困難な試料も多いため、本発明では入手が容易な標準物質でワーキングスタンダードの値を決定し、このワーキングスタンダードを用いて分析を行った。ワーキングスタンダードとして、L-α-アラニン(昭光通商(株):δ13C−PDB(‰)=−19.9、δ15N-Air(‰) = −1.21)、安息香酸(インディアナ大学:δ18O(‰)=23.2)、スルファアニリド(和光(株):δ34S(‰)=2.6)、スルファアニリド(Thermo Fisher Scientific(株):δ34S(‰)=17.0)などを使用し、これらの分析値から間接的に試料の分析値を求めた。
【実施例1】
【0034】
表4の原産国の明らかな緑茶葉(日本産:15点、中国産:24点)を乾燥し、細かく粉砕した試料を用いて安定同位体比を測定した。得られた値を表4に示す。表4のδ13C値を、δ15N、δ18O値またはδ34S値と組み合わせた散布図を、図1、図2、図3に示す。また、表4のδ34S値を、δ15Nまたはδ18O値と組み合わせた散布図を図4、図5に示す。図1より、窒素および炭素安定同位体比の組み合わせでは、散布図上で日本産緑茶葉と中国産緑茶葉が混在しており、原産国の判別は困難であることがわかる。また、図2より、酸素および炭素安定同位体比の組み合わせでは、散布図上で日本産緑茶葉と中国産緑茶葉が混在しており、原産国の判別は困難であることがわかる。ところが、図3より、硫黄および炭素安定同位体比の組み合わせでは、散布図上で日本産緑茶葉と中国産緑茶葉が分離し、明確に判別できることがわかる。同様に、図4より硫黄および窒素安定同位体比の組み合わせでも、図5より硫黄および酸素安定同位体比の組み合わせでも、日本産緑茶葉と中国産緑茶葉の判別が可能であることがわかる。上記組み合わせの内では、日本産緑茶葉の分析値のばらつきが小さい硫黄および炭素安定同位体比の組み合わせが、原産地の判別には好適であることが確認できた。さらに、図3〜5より、硫黄安定同位体比単独であっても、日本産緑茶葉と中国産緑茶葉の判別が可能であることがわかる。
【0035】
【表4】

【実施例2】
【0036】
実施例1で用いた試料では、硫黄安定同位体比単独であっても緑茶葉の産地の判別が可能であることが確認されたので、硫黄安定同位体比の分析値δ34S (単位:‰)のみを変数として、「マハラノビスの汎距離」の比較による、日本産および中国産の緑茶葉の栽培地の判定を試みた。
【0037】
手順1:判別モデル構築用試料29点(日本産緑茶葉:10点、中国産緑茶葉:19点)について、中国産緑茶葉および日本産緑茶葉の硫黄安定同位体比δ34S(単位:‰)の平均値および標準偏差を求めた。表5に示すように、日本産緑茶葉の硫黄安定同位体比の平均値(B)は0.94‰、標準偏差は0.68‰であった。また、中国産緑茶葉の硫黄安定同位体比の平均値(D)は5.76‰、標準偏差は1.67‰であった。
【0038】
手順2:日本産緑茶葉と中国産緑茶葉の境界となる硫黄安定同位体比の値を仮にXとすれば、日本産緑茶葉の硫黄安定同位体比の平均値との差(偏差)は、X−0.94となる。また、中国産緑茶葉の硫黄安定同位体比の平均値との差(偏差)は、5.76−Xとなる。マハラノビスの汎距離は、平均値と境界値との差を標準偏差で割ることにより求めた。境界値Xは、
(X-0.94)/0.68 = (5.67-X)/1.67
の式から、2.31‰であることが確認できた。
【0039】
手順3:硫黄安定同位体比が2.31‰以上であれば中国産、2.31‰未満であれば日本産茶葉と判定した。実施例で用いた試料については、判別モデル構築用試料29点(日本産緑茶葉:10点、中国産緑茶葉:19点)について、日本産緑茶葉は全て日本産、中国産緑茶葉は全て中国産と判定可能であった。また、試験試料10点(日本産緑茶葉:5点(サンプル番号:J1〜J5)、中国産緑茶葉:5点(サンプル番号:C1〜C5))についても、日本産緑茶葉は全て日本産、中国産緑茶葉は全て中国産と正しく判定できた。
【実施例3】
【0040】
実施例1の緑茶葉全39点(日本産:15点、中国産:24点)の内、10点(日本産:5点、中国産:5点)を試験試料、残り29点を判別モデル構築用試料とした。判別モデル構築用試料29点のマハラノビスの汎距離を比較すると、日本産緑茶葉は全て日本産、中国産緑茶葉は全て中国産と判定することが可能であった。更に、モデル構築用試料から計算した判別式を用いて、試験試料の原産国を判定した結果、日本産緑茶葉は全て日本産、中国産緑茶葉は全て中国産と判定することが可能であった。
【0041】
以下、硫黄および炭素安定同位体比の分析値δ34Sおよびδ13C(単位:‰)を変数として、「マハラノビスの汎距離」の比較により、緑茶葉の栽培地の判定を試みた。具体的な手順は、石村貞夫:「SPSSによる多変量データ解析の手順」(東京図書)などを参考にした。また、統計解析用ソフトには、市販品であるエクセル2003 (マイクロソフト株式会社製)およびSPSS Statics17.0 (SPSS株式会社製)などを使用した。
【0042】
手順1:判別モデル構築用試料29点(日本産緑茶葉:10点、中国産緑茶葉:19点)について、中国産緑茶葉および日本産緑茶葉の硫黄安定同位体比δ34S(単位:‰)および炭素安定同位体比δ13C(単位:‰)の平均値を求めた。表5に示すように、日本産緑茶葉の炭素安定同位体比の平均値(A)は−27.16‰、硫黄安定同位体比の平均値(B)は0.94‰であった。また、中国産緑茶葉の炭素安定同位体比の平均値(C)は−25.95‰、硫黄安定同位体比の平均値(D)は5.76‰であった。
【0043】
【表5】

【0044】
手順2:各データの平均値との差(偏差)を計算し、それらの値から各群の分散および共分散の値を計算した。分散および共分散の値は、エクセルやSPSS Statics17.0などの統計解析用ソフトに分析値を入力し計算した。表6に、統計解析用ソフトSPSS Statics17.0で計算した結果を示す。日本産緑茶葉の炭素安定同位体比の分散は0.142、硫黄安定同位体比の分散は0.466、炭素安定同位体比と硫黄安定同位体比の共分散は0.024と算出された。また、中国産緑茶葉の炭素安定同位体比の分散は1.846、硫黄安定同位体比の分散は2.799、炭素安定同位体比と硫黄安定同位体比の共分散は1.663であった。
【0045】
【表6】

【0046】
手順3:手順2で日本産および中国産緑茶葉の分析値から計算した分散および共分散の値を行列式にして、その逆行列を計算した。行列式の計算には、エクセルおよびその機能を利用した統計解析用ソフトを利用した。表7に、日本産緑茶葉と中国産緑茶葉の分散共分散行列S1およびS2から、逆行列S1-1およびS2-1を計算した結果を示した。
【0047】
【表7】

【0048】
手順4:手順1で算出した、日本産緑茶葉の炭素安定同位体比の平均値Aと硫黄安定同位体比の平均値B、中国産緑茶葉の炭素安定同位体比の平均値Cと硫黄安定同位体比の平均値D、手順3で算出した、日本産緑茶葉の炭素安定同位体比と硫黄安定同位体比の分散共分散行列の逆行列S1-1、および中国産緑茶葉の炭素安定同位体比と硫黄安定同位体比の分散共分散行列の逆行列S2-1を用いてマハラノビスの汎距離を算出した。
日本産か中国産かを判定したい緑茶葉の炭素安定同位体比(単位:‰)をX、硫黄安定同位体比(単位:‰)をYとして、マハラノビスの汎距離は、下記の(式2)および(式3)により求めた。
すなわち、日本産緑茶葉の分析値の重心までのマハラノビスの汎距離M1は、
M1 = (X−A, Y−B) × S1-1 × (X−A, Y−B) (式2)
中国産緑茶葉の分析値の重心までのマハラノビスの汎距離M2は、
M2 = (X−C, Y−D) × S2-1 × (X−C, Y−D) (式3)
により、求めた。行列式の計算はエクセルおよびその機能を利用した統計解析用ソフトを利用して行った。判別モデル構築用試料29点(日本産緑茶葉:10点、中国産緑茶葉:19点)の計算結果を表8に示した。
手順5:手順4で算出した、日本産緑茶葉の分析値の重心までのマハラノビスの汎距離M1と中国産緑茶葉の分析値の重心までのマハラノビスの汎距離M2を比較し、
M1 < M2
の場合、日本産緑茶葉であると判定した。
また、日本産緑茶葉の分析値の重心までのマハラノビスの汎距離M1と中国産緑茶葉の分析値の重心までのマハラノビスの汎距離M2を比較し、
M1 > M2
の場合、中国産緑茶葉であると判定した。表8に示すように、判別モデル構築用試料29点(日本産緑茶葉:10点、中国産緑茶葉:19点)については、日本産緑茶葉はすべて「日本産」、中国産緑茶葉はすべて「中国産」と正しく判定できることが確認できた(正答率:100%)。
【0049】
【表8】

【0050】
手順6:試験試料10点(日本産緑茶:5点、中国産緑茶:5点)について、判別モデル構築用試料の分析値から計算した判別式により、原産国の判定が可能かどうかを確認した。試験試料の分析値から、手順4および手順5の方法に従い、日本産緑茶葉の分析値の重心までのマハラノビスの汎距離と中国産緑茶葉の分析値の重心までのマハラノビスの汎距離を計算し、原産国の判定を行った。その結果、表9に示すように、日本産緑茶葉はすべて「日本産」、中国産緑茶葉はすべて「中国産」と正しく判定できることが確認できた。
【0051】
【表9】

【産業上の利用可能性】
【0052】
本発明は農作物、特に茶葉の栽培国または地域を、簡便かつ高い精度で判別する方法を提供するものであり、農芸化学や食品化学の分野で広く応用することができる。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
農作物の栽培国または地域の判定方法であって、以下の工程:
栽培国または地域が既知の農作物に含有される硫黄の安定同位体比δ34Sを測定する工程;
同一種の農作物の試験サンプルに含有される硫黄の安定同位体比を測定する工程;および
それらのデータを比較し、試験サンプルの硫黄安定同位体比と近似の硫黄安定同位体比を示す栽培国または地域を特定する工程;
を含む、前記判定方法。
【請求項2】
農作物が茶葉である、請求項1記載の判定方法。
【請求項3】
茶葉が日本産または中国産である、請求項2記載の判定方法。
【請求項4】
茶葉の栽培国または地域の判定方法であって、以下の工程:
中国および日本産の茶葉に含有される硫黄の安定同位体比δ34Sを測定する工程;
測定した硫黄安定同位体比の平均値と標準偏差を用いて中国産および日本産各々の前記平均値からのマハラノビスの汎距離が等しくなる境界値(Xとする)を
(X−日本産茶葉に含有される硫黄の安定同位体比の平均値)/日本産茶葉に含有される硫黄の安定同位体比の標準偏差
=(中国産茶葉に含有される硫黄の安定同位体比の平均値−X)/中国産茶葉に含有される硫黄の安定同位体比の標準偏差
で表す計算式により算出する工程;
中国または日本産の茶葉の試験サンプルに含有される硫黄の安定同位体比を測定する工程;および
試験サンプルの硫黄安定同位体比がX ‰以上であった場合はその栽培国は中国であると判定し、
試験サンプルの硫黄安定同位体比がX ‰未満であった場合はその栽培国は日本であると判定する工程;
を含む、前記方法。
【請求項5】
農作物の栽培国または地域の判定方法であって、以下の工程:
栽培国または地域が既知の農作物に含有される硫黄の安定同位体比δ34Sを測定する工程;
得られたデータにより栽培国または地域と硫黄安定同位体比δ34Sのデータベースを構築する工程;
同一種の農作物の試験サンプルに含有される硫黄の安定同位体比を測定する工程;および
該データベースを用いて試験サンプルの硫黄安定同位体比から栽培国または地域を判定する工程;
を含む、前記判定方法。
【請求項6】
農作物が茶葉である、請求項5記載の判定方法。
【請求項7】
茶葉が日本産または中国産である、請求項6記載の判定方法。
【請求項8】
さらに炭素安定同位体比δ13Cの測定値を組合わせて判定する、請求項1〜7のいずれか一項記載の判定方法。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【公開番号】特開2010−256302(P2010−256302A)
【公開日】平成22年11月11日(2010.11.11)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2009−109834(P2009−109834)
【出願日】平成21年4月28日(2009.4.28)
【出願人】(309007911)サントリーホールディングス株式会社 (307)
【Fターム(参考)】