説明

エナメル質脱灰抑制素材

本発明は歯垢の形成の抑制と共にう蝕の形成を抑制する効果的な抗う蝕性素材を提供することを目的とする。本発明は、歯垢の形成のみならず、菌の繁殖、菌による酸の生成、エナメル質の脱灰と続くう蝕の形成過程を効果的に抑制する物質である、ホップ苞またはリンゴ未熟果に由来するプロアントシアニジン様のポリフェノールを有効成分とするエナメル質脱灰抑制素材である。更にこの物質をエナメル質脱灰抑制素材として利用した飲食品や口腔用剤である。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
本発明は、プロアントシアニジン様のポリフェノール、特にリンゴ未熟果またはホップ苞に由来するプロアントシアニジン様のポリフェノールを有効成分とするエナメル質脱灰抑制素材およびその用途に関する。
【背景技術】
う蝕、いわゆる虫歯は、厚生労働省による平成11年の歯科疾患実態調査によれば、永久歯を持つ日本人のおよそ8割もが何らかのう歯を持つとされる、国民病のひとつとも言える疾患である。
う蝕は、細菌によって引き起こされる疾患である。すなわち、まず口腔中に存在するう蝕性細菌であるS.mutans、S.sobrinusなどのミュータンスレンサ球菌、いわゆる「虫歯菌」が、ショ糖より粘着性、非水溶性のグルカンを生成し、菌体とともに歯の表面に付着して歯垢を形成する。次いでこの歯垢の中で虫歯菌などの種々の菌が繁殖し、菌の代謝により生成された有機酸のために歯表面のpHが低下し、歯のエナメル質が溶け出して(脱灰)穴が空き、う蝕を生じるとされる。すなわち、う蝕は、歯垢の形成、菌の繁殖、菌による酸の生成、エナメル質の脱灰と続く、連続した過程をたどり発症するものであると言える。
う蝕を予防する方法としては、フッ素を用いて歯質の強化を図る方法、虫歯菌に対する抗菌物質を用いる方法、ショ糖の代わりに、グルカンを生成しない代替糖を用いる方法、非水溶性グルカンを生成する酵素の阻害剤を用いる方法などがすでに知られている。しかし、いずれの方法も効果やコスト、栄養に与える影響などの面で一長一短であり、う蝕の罹患率が現実にさして減少していないことを考えても、完全な方法であるとは言い難いのが現状である。
近年、日本における医療費の総額は約30兆円を数え、歯科の医療費は2兆5000億円にも達する。健康の増進によるQOLの向上のみならず、医療費の抑制・削減の観点から見ても、う蝕の発症を効果的に予防する、簡便で優れた方法が開発されれば、産業的にも大いに意義のあるものである。
ポリフェノールによる抗う蝕効果については、すでに緑茶抽出物(特開平01−9922号公報、特開平01−90124号公報、特開平01−265010号公報)、ウーロン茶抽出物(特開平03−284625号公報)などの報告がある。また、リンゴ未熟果およびホップ苞に由来するポリフェノールについても、すでに発明者らが歯垢形成抑制効果を明らかにしている(特開平07−285876号公報、特開平09−295944号公報)。これらの抗う蝕効果は、ポリフェノールが虫歯菌に対し抗菌活性を持つこと(特許文献1−3)、またはポリフェノールが非水溶性グルカンを生成する酵素(GTF)を阻害すること(特許文献4−6)により、歯垢の形成が抑制されることをその効果の根拠としている。
しかし、先に触れたように、う歯の形成は、歯垢の形成、菌の繁殖、菌による酸の生成、エナメル質の脱灰と続く、連続した形成過程の結果生じるものである。例えば、抗菌活性を持つポリフェノールにより虫歯菌を完全に除菌することは難しく、時間が経てば虫歯菌は再度口中で増殖するものであるし、またGTFの阻害により歯垢の形成を大幅に抑制しても、わずかに形成された歯垢よりその後のステップが進展し、う蝕を生じうることから、口中の虫歯菌の数を一時的に減らしたり、歯垢の形成を効果的に抑制したとしても、う蝕の形成を抑制する直接の証拠とはなっていなかった。したがって、本発明は歯垢の形成の抑制と共にう蝕の形成を抑制する効果的な抗う蝕性素材を提供することを目的とする。
【発明の開示】
本発明者らは、上記の課題について鋭意検討した結果、ホップ苞またはリンゴ未熟果に由来する、プロアントシアニジン様のポリフェノールが、歯垢の形成のみならず、菌の繁殖、菌による酸の生成、エナメル質の脱灰と続くう蝕の形成過程を効果的に抑制する物質であることを見い出した。更にこの物質を、抗う蝕性素材として飲食品や口腔用剤に利用することにより本発明を完成するに至った。
ここでいうポリフェノールとは、主に植物体に含まれる分子内に複数のフェノール性水酸基を有する化合物の総称であり、プロアントシアニジン様のポリフェノールとは、ポリフェノールであって、加水分解により赤色系の色素であるアントシアニジン(シアニジンまたはデルフィニジンまたはプロペラルゴニン)を生じる化合物をいう。
すなわち、本発明の第1は、プロアントシアニジン様のポリフェノールであるエナメル質脱灰抑制素材に関し、第2は、リンゴ未熟果に由来するプロアントシアニジン様のポリフェノールであるエナメル質脱灰抑制素材に関し、第3は、ホップ苞に由来するプロアントシアニジン様のポリフェノールであるエナメル質脱灰抑制素材に関する。
【図面の簡単な説明】
図1は人工口腔装置中心部の断面図。
図2はS.mutansを用いた試験後のエナメル歯片上の非水溶性グルカン(人工的に形成させた歯垢に相当)量の比較を示すグラフ。対照(左)に比べて実施例3で得たエナメル質脱灰抑制素材を添加した場合(右)では非水溶性グルカン量が減少している。
図3はS.sobrinusを用いた試験後のエナメル歯片上の非水溶性グルカン(人工的に形成させた歯垢に相当)量の比較を示すグラフ。対照(左)に比べて実施例3で得たエナメル質脱灰抑制素材を添加した場合(右)では非水溶性グルカン量が減少している。
図4はS.mutansを用いた試験後のエナメル歯片上の虫歯菌(S.mutans)菌体量の比較を示すグラフ。対照(左)に比べて実施例3で得たエナメル質脱灰抑制素材を添加した場合(右)では虫歯菌の菌体量が減少している。これは人工歯垢の中での虫歯菌の定着及び増殖が抑えられていることを示す。
図5はS.sobrinusを用いた試験後のエナメル歯片上の虫歯菌(S.sobrinus)菌体量の比較を示すグラフ。対照(左)に比べて実施例3で得たエナメル質脱灰抑制素材を添加した場合(右)では虫歯菌の菌体量が減少している。これは人工歯垢の中での虫歯菌の定着及び増殖が抑えられていることを示す。
図6はS.mutansを用いた試験において、形成された人工歯垢直下の平面電極のpH変化を示すグラフ。対照に比べて実施例3で得たエナメル質脱灰抑制素材を添加した場合(右)ではpH変化の度合いが少ない(pHがあまり低下していない)。これは人工歯垢の中の虫歯菌による酸の生成量が減少していることを示す。
図7はS.sobrinusを用いた試験において、形成された人工歯垢直下の平面電極のpH変化を示すグラフ。対照に比べて実施例3で得たエナメル質脱灰抑制素材を添加した場合(右)ではpH変化の度合いが少ない(pHがあまり低下していない)。これは人工歯垢の中の虫歯菌による酸の生成量が減少していることを示す。
図8はS.mutansを用いた試験において、試験前後のエナメル歯片の硬度変化を示すグラフ。対照(左)に比べて実施例3で得たエナメル質脱灰抑制素材を添加した場合(右)ではエナメル質の硬度変化が抑制された。
図9はS.sobrinusを用いた試験において、試験前後のエナメル歯片の硬度変化を示すグラフ。対照(左)に比べて実施例3で得たエナメル質脱灰抑制素材を添加した場合(右)ではエナメル質の硬度変化が抑制された。
【発明を実施するための最良の形態】
本発明の原料となるリンゴ未熟果とは、リンゴの果実が成熟する前に人為的に摘果したもの、あるいは落下などにより自然にリンゴ果樹より脱落したものをいう。
また、本発明の原料となるホップ苞とは、ホップ毬果よりルプリン部分を取り除いて得られるものであり、一般に、ホップ毬果を粉砕後、ふるい分けによってルプリン部分を除くことによってホップ苞を得る。しかし、最近のビール醸造においては、ホップ苞をふるい分けして除去する手間を省くために、ビール醸造に有用でないホップ苞を取り除かずにホップ毬果そのままをペレット状に成形し、ホップペレットとして、ビール醸造に利用する傾向にある。従って、本発明の原料としては、ホップ苞を含むものであれば特に限定せず、ホップ苞を含むホップ毬果やホップペレットを原料としてもなんら問題ない。
これらの原料を、圧搾により搾汁あるいはアルコール水溶液などで抽出し、エナメル質脱灰抑制素材を含む溶液とし、そのまま粉末として用いることもでき、必要に応じてエナメル質脱灰抑制素材をポリフェノールに親和性のある粒状の樹脂などを充填したカラムなどを用いて精製し、精製度を上げて用いることもできる。
得られたエナメル質脱灰抑制素材は、菓子類、食品類、飲料などの飲食品、特に好ましくは、キャンディ、チョコレート、キャラメル、チューインガムなど、口腔滞留時間の比較的長い飲食品に用いることができる。また、うがい液、歯磨剤などの口腔用剤に添加して用いることもできる。これらの飲食品、口腔用剤に抗う蝕性素材を添加する際には、抗う蝕性素材を粉末のまま添加してもよいが、好ましくは、抗う蝕性素材を1〜2%の水溶液またはアルコール水溶液の溶液あるいはアルコール溶液とし、飲食品または口腔用剤に対し最終濃度が1〜5000ppm、好ましくは100〜2000ppmとなるように添加することが望ましい。
以下、実施例を示すが本発明はこれに限定されるものではない。
実施例1 (リンゴ未熟果からのエナメル質脱灰抑制素材の調製)
リンゴ未熟果(平均重量5.03g)400gを1%塩酸酸性メタノール(200ml)と共にホモジナイズした後、加熱還流しながら抽出し(3回)、抽出液を減圧濃縮してメタノールを留去後、クロロホルム(200ml)を加えて分配し(2回)、水層を回収し、濾過後蒸留水で200mlにメスアップした。さらにSep−pak C18を用いた固相抽出法により精製し、凍結乾燥して黄色のエナメル質脱灰抑制素材0.5gを得た。
実施例2 (ホップ苞からのエナメル質脱灰抑制素材の調製)
ホップ苞50gを1000mlの40%エタノール水溶液で、攪拌下、50℃、60分間抽出した。ろ過後、容積が500mlになるまで減圧濃縮し、その濃縮液をスチレン−ジビニルベンゼン樹脂(三菱化学社製セパビーズ70)150mlを充填したカラムに通液し、次いで500mlの水で洗浄した。さらに同カラムに50%エタノール水溶液600mlを通液し、同溶出液を回収し、凍結乾燥して、エナメル質脱灰抑制素材1.7gを無臭のかすかに苦味を呈した淡黄色の粉末として得た。ホップ苞からの収率は3.4%であった。
実施例3 (限外ろ過膜を用いたエナメル質脱灰抑制素材のさらなる精製)
実施例2と同様にして得たエナメル質脱灰抑制素材5gを、500mlの50%エタノール水溶液に溶解し、分画分子量が10,000の限外ろ過膜で処理した。この膜を通過しなかった上残り液を濃縮した後凍結乾燥し、さらに精製されたエナメル質脱灰抑制素材2.2gを黄色から茶色の粉末として得た。
実施例4 (歯磨剤)
第2リン酸カルシウム 42.0
グリセリン 18.0
カラギナン 0.7
ラウリル硫酸ナトリウム 1.29
パラオキシ安息香酸ブチル0.005
実施例1で得た素材 0.005
香料 1.0
水 37.0
合計100.0
上記の各重量部の各成分を用い、常法に従って歯磨剤とした。なお実施例1で得た素材の代わりに、実施例2および実施例3で得た素材を添加した歯磨剤も同様に得た。
実施例5 (洗口液)
グリセリン 7.0
ソルビトール 5.0
エチルアルコール 15.0
ラウリル硫酸ナトリウム 0.9
1−メントール 0.05
香料 0.045
実施例1で得た素材 0.005
水 72.0
合計100.0
上記の各重量部の各成分を用い、常法に従って洗口液とした。なお実施例1で得た素材の代わりに、実施例2および実施例3で得た素材を添加した洗口剤も同様に得た。
実施例6 (トローチ剤)
アラビアゴム 6.0
ステアリン酸マグネシウム3.0
キシリトール 73.0
マルチトール 17.6
リン酸第2カリウム 0.2
リン酸第1カリウム 0.1
香料 0.095
実施例1で得た素材 0.005
合計100.0
上記の各重量部の各成分を用い、常法に従ってトローチ剤とした。なお実施例1で得た素材の代わりに、実施例2および実施例3で得た素材を添加したトローチ剤も同様に得た。
実施例7 (飴)
キシリトール 20.0
マルチトール 70.0
水 9.5
着色料 0.45
香料 0.045
実施例1で得た素材 0.005
合計100.0
上記の各重量部の各成分を用い、常法に従って飴とした。なお実施例1で得た素材の代わりに、実施例2および実施例3で得た素材を添加した飴も同様に得た。
実施例8 (チューインガム)
ガムベース 20.0
炭酸カルシウム 2.0
キシリトール 77.0
ステビオサイド 0.095
実施例1で得た素材 0.005
香料 0.9
合計100.0
上記の各重量部の各成分を用い、常法に従ってチューインガムとした。なお実施例1の代わりに、実施例2および実施例3で得た素材を添加したチューインガムも同様に得た。
実施例9 (ジュース)
キシリトール 20.0
クエン酸 0.2
香料 0.1
色素 0.15
アスコルビン酸ナトリウム0.048
実施例1で得た素材 0.002
水 79.5
合計100.0
上記の各重量部の各成分を用い、常法に従ってジュースとした。なお実施例1で得た素材の代わりに、実施例2および実施例3で得た素材を添加したジュースも同様に得た。
実施例10 (クッキー)
薄力粉 32.0
全卵 16.0
バター 16.0
マルチトール 25.0
水 10.8
ベーキングパウダー 0.198
実施例1で得た素材 0.002
合計100.0
上記の各重量部の各成分を用い、常法に従ってクッキーとした。なお実施例1で得た素材の代わりに、実施例2および実施例3で得た素材を添加したクッキーも同様に得た。
実施例11 (キャラメル)
キシリトール 31.0
マルチトール 20.0
粉乳 40.0
硬化油 5.0
食塩 0.6
香料 0.025
実施例1で得た素材 0.005
水 3.37
合計100.0
上記の各重量部の各成分を用い、常法に従ってキャラメルとした。なお実施例1で得た素材の代わりに、実施例2および実施例3で得た素材を添加したキャラメルも同様に得た。
実施例12 (人工口腔装置を用いたう歯形成の一連の段階に対する評価試験)
ウシ歯片を用いた人工口腔装置(M.Hinoide,et al.,Jpn.J.Oral Biol.,26,288−291(1984))を用いて、代表的な虫歯菌であるS.mutansおよびS.sobrinusによる歯垢形成、菌の増殖、酸産生によるpHの低下、エナメル質の脱灰に与える、実施例3で得た素材の効果について検討した。
人工口腔装置の概略を図1に示す。この装置は、ウシエナメル質切片(3.5×3.5×1.5mm)4枚を電極の周囲に装着し、装置上方に配置された5本のチューブA〜Eより以下のように液体を滴下することにより口腔内での虫歯の形成を再現することができる装置である。

評価については、エナメル質切片上に形成されたバイオフィルムを回収し、非水溶性グルカンの量、虫歯菌量を測定した。また酸産生による電極平面上のpH低下の様子、および回収したエナメル質切片の硬度変化についても評価した。なお、非水溶性グルカンの量はフェノール硫酸法で、虫歯菌量は540nmにおける濁度で、エナメル質切片の硬度は硬度計((株)アカシ製MS−5型)により測定した。
その結果を図2〜9に示す。実施例3で得た素材の添加により、検討したいずれの菌に対しても、対照と比べエナメル歯片上の非水溶性グルカン量(歯垢の量に相当、図2、3)および虫歯菌の菌体量(図4、5)が減少し、歯片上のpH低下は抑制された(図6、7)。さらに、このときエナメル質の硬度は対照が大きく低下したのに比べ、低下の度合いが小さく(図8、9)、エナメル質の脱灰を明確に抑制していることが明らかとなった。すなわち、実施例3で得た素材の添加により、歯垢の形成、菌の繁殖、歯片上のpH低下、エナメル質の脱灰と続く虫歯の形成過程の全体を効果的に抑制したことが明らかとなった。
【図1】

【図2】

【図3】

【図4】

【図5】

【図6】

【図7】

【図8】

【図9】


【特許請求の範囲】
【請求項1】
プロアントシアニジン様のポリフェノールを有効成分とするエナメル質脱灰抑制素材。
【請求項2】
リンゴ未熟果に由来する請求項1記載のエナメル質脱灰抑制素材。
【請求項3】
ホップ苞に由来する請求項1記載のエナメル質脱灰抑制素材。
【請求項4】
請求項1記載のエナメル質脱灰抑制素材を含む飲食品。
【請求項5】
請求項2記載のエナメル質脱灰抑制素材を含む飲食品。
【請求項6】
請求項3記載のエナメル質脱灰抑制素材を含む飲食品。
【請求項7】
請求項1に記載のエナメル質脱灰抑制素材を含む口腔用剤。
【請求項8】
請求項2に記載のエナメル質脱灰抑制素材を含む口腔用剤。
【請求項9】
請求項3に記載のエナメル質脱灰抑制素材を含む口腔用剤。

【国際公開番号】WO2004/096165
【国際公開日】平成16年11月11日(2004.11.11)
【発行日】平成18年7月13日(2006.7.13)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2005−505962(P2005−505962)
【国際出願番号】PCT/JP2004/006465
【国際出願日】平成16年4月30日(2004.4.30)
【出願人】(000000055)アサヒビール株式会社 (535)
【Fターム(参考)】