説明

エンドセリン受容体を標的とした高病原性鳥インフルエンザH5N1感染の治療薬

【課題】鳥インフルエンザH5N1型は、重度の症状、病変をもたらすだけでなく、これらの変化を特に誘発することなく、短期間で鶏を死亡させるものがある。これは、感染したウイルスの増殖だけが原因ではなく、サイトカインストームのような他の異常な動態によるものと考えられる。このような急死に対しては、ウイルスのエンベロープの生成を阻害する抗ノイラミニダーゼ薬では効果がないおそれがある。
【解決手段】急死の原因はウイルス感染によって誘発されるエンドセリンが引き起こす血管収縮であることを見出し、エンドセリン受容体拮抗薬を鳥インフルエンザウイスル治療薬に含有させる。具体的にはボセンタン水和物を用いる。また、エンドセリン受容体に結合する抗体を用いることもできる。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、高病原性鳥インフルエンザ(H5N1型)感染の治療薬に関する。
【背景技術】
【0002】
鳥インフルエンザとは、A型インフルエンザウイルスが鳥類に感染して起きる鳥類の感染症である。鳥インフルエンザウイルスは、野生の水禽類を自然宿主として存在しており、若鳥に20%の感染が見出されることもある。
【0003】
このインフルエンザウイルスは、水禽類の腸管で増殖し、鳥間では(水中の)糞を媒介に感染する。水禽類では感染しても宿主は発症しない。しかし、家禽類のニワトリ・ウズラ・七面鳥等に感染すると非常に高い病原性をもたらすものがあり、そのタイプを高病原性鳥インフルエンザと呼ぶ。現在、世界的に養鶏産業の脅威となっているのはこのウイルスである。
【0004】
この種のウイルスのうち、H5N1亜型ウイルスでは家禽と接触した人間への感染、発病が報告されている。但し、感染者はヒト型とトリ型のインフルエンザウイルスに対するレセプターを有していた。従って、今のところ、一般の人に感染する危険性はきわめて低いとされている。しかし、ウイルスは一般的にDNAの塩基配列を容易に変化させるため、ヒトインフルエンザウイルスと混じり合い、人間の間で感染する能力を持つウイルスが生まれることが懸念されている。
【0005】
事実これまでに、インドネシアやベトナムなどを含めた東南アジアやエジプトにおいて鳥からヒトへの感染例が多発し、その致死率は60%を超えている。従って、将来、高病原性鳥インフルエンザが爆発的感染(パンデミック)になりうる可能性がある。
【0006】
ヒトの場合にインフルエンザの治療薬としては、タミフル(登録商標)(りん酸オセルタミビル)やリレンザ(登録商標)(サナミビル)が挙げられる。いずれも、ノイラミニダーゼという酵素を阻害することで、ウイルスがエンベロープを形成できなくし、感染細胞からの放出を阻害することで、ウイルスの増殖を阻害する(特許文献1参照)。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0007】
【特許文献1】特許第3622983号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
ところで、高病原性鳥インフルエンザウイルスH5N1にも、重度の症状、病変をもたらすものから、これらの変化を特に誘発することなく、短期間で鶏を死亡させるものがある。例えば、アジアで発生するH5N1型インフルエンザの例が後者にあたる。
【0009】
この短期間での死亡(急死)は体内でのウイルス増殖だけではなく、ウイルス感染に誘発される過剰な生体反応に起因することが示唆されている。人での感染例においても、サイトカインの異常な動態が観察されており(いわゆるサイトカインストーム)、鳥インフルエンザの高い致死率の原因の一つであると報告されている。
【0010】
インフルエンザH5N1がもたらす急死が、ウイルス増殖だけでなく、サイトカインストームのような異常動態が原因であるとすると、上述した抗ノイラミニダーゼによる阻害作用を目的とする薬剤では効果的な治療薬となりえないおそれが高い。
【課題を解決するための手段】
【0011】
そこで本発明者らは上記課題に鑑み、鋭意検討した結果、高病原性鳥インフルエンザウイルスH5N1感染による「急死」を誘発するのは、血管内皮細胞由来のペプチドであるエンドセリンによる血管収縮による虚血が原因である可能性を見出し、本発明を完成するに至った。
【0012】
より具体的には、本発明は、エンドセリン受容体拮抗物(ボセンタン水和物)を含有する鳥インフルエンザの治療薬を提供する。
【0013】
また、本発明はエンドセリン受容体に結合する抗体を含有する鳥インフルエンザの治療薬を提供する。
【発明の効果】
【0014】
本発明はエンドセリン受容体拮抗物をインフルエンザ治療薬として用いるので、ウイルス感染により誘発されるエンドセリンが引き起こす血管収縮を抑制することができ、ウイルス感染による急死を抑制することができる。
【図面の簡単な説明】
【0015】
【図1】H5N1型インフルエンザウイルスを感染させた鶏のヒナ鳥にボセンタン水和物をりん酸緩衝液と混和させたものを注射した場合の5日までの生存率を表すグラフである。
【発明を実施するための形態】
【0016】
本発明に用いるエンドセリン受容体拮抗物としては、ボセンタン水和物が好適に用いられるが、これに限定されるものではない。ボセンタン水和物は、化学名が4−(1,1−Dimethylethyl)−N−[6−(2−hydroxyethoxy)−5−(2−methoxyphenoxy)−2−(pyrimidin−2−yl)pyrimidin−4−yl] benzenesulfonamide monohydrateであり、以下の構造を有する。
【0017】
【化1】

【0018】
ボセンタン水和物(Bosentan hydrate)はエンドセリンのETとETの両受容体に非選択的に結合するエンドセリン受容体拮抗物である。両受容体を阻害することにより、ET−1の上昇に伴う種々の有害作用、特に血管収縮を抑制する。ボセンタン水和物はヒトの肺動脈性肺高血圧症の治療薬(トラクリア:登録商標)として実用化されている。
【0019】
一方、エンドセリン(endothelin)は、血管内皮細胞由来のペプチドで、強力な血管収縮作用を有する。エンドセリンは、ブタ大動脈の血管内皮細胞培養上清から、強力な血管収縮作用を有する生理活性物質として、単離、精製、および遺伝子の同定がなされた。この物質をラットに静注すると、1時間以上も持続する強力な昇圧反応が観察された。
【0020】
エンドセリンは21個のアミノ酸で構成され、分子内に2個のジスルフィド結合を有する。203個のアミノ酸より成る前駆体がプロセッシングされることにより生成する。多くの哺乳類には、異なる遺伝子によってコードされるET−1、ET−2、そしてET−3という3種のペプチド異性体が存在する。エンドセリンは一過性の血管拡張作用と、それに引き続く持続的な血管収縮作用を有する。
【0021】
エンドセリンの受容体はETとETの2種類が存在する。ETはET−1とET−2に高い親和性が高く、ET−3に対しては低い親和性をしめす。ETは3種のアイソペプチドに同等の親和性をしめす。血管系においてはETは血管収縮作用、ETは血管内皮細胞におけるNOの放出を介した血管拡張作用に関与しているとされているが、一部の血管ではET受容体も血管収縮に関与している。ボセンタンはETとETの両受容体に非選択的に結合する。
【0022】
なお、エンドセリンは肺高血圧、心不全、腎不全といった病態との関連が指摘されており、そもそもボセンタンは、上記のようにエンドセリン受容拮抗薬(ET受容体とET受容体の両方を阻害する)として肺高血圧の治療薬として使用されている薬剤である。
【0023】
また、エンセドリン受容体拮抗物としては、エンセドリン受容体であるETと結合する抗体を用いることもできる。急死を回避するためには、エンセドリンが受容体と結合することを阻害できればよいからである。このような抗体は、ETを抗原とする抗体の作製方法で得ることができる。
【実施例1】
【0024】
ボセンタン水和物をリン酸緩衝液(PBS)と混和させ、鶏のヒナ鳥(ホワイトレグホン種、体重約100g)の大腿部に注射した。用量はボセンタン0mg(つまりPBSのみ)、8mg、16mgである。各容量を5羽のヒナ鳥に注射した。ボセンタンの注射の2時間まえに、高病原性鳥インフルエンザウイルスH5N1のインドネシア野外株(ウイルス感染価は10TCID50であったもの)を鼻腔内接種した。
【0025】
図1に示すグラフは、ウイルス接種5日後までのヒナ鳥の生存率を示している。横軸はボセンタンの注射量であり、縦軸は生存率を表す。ボセンタン非注射(0mg)では生存率が0%(すなわち死亡率100%)であったが、ボセンタンを8mg注射したヒナ鳥は生存率が40%であり、16mg注射したヒナ鳥は生存率が76%と顕著に上昇した。
【0026】
これは、ボセンタンによりエンドセリン受容体が阻害され、ウイルス感染により誘発されるエンドセリンの血管収縮が抑制されたためであると考えられる。これによりボセンタンを含む薬剤が鳥インフルエンザの治療薬になりうることが示された。
【実施例2】
【0027】
以下にエンドセリン受容体拮抗物として抗体を用いた場合の実施例について説明する。なお、抗体は鳥であるダチョウから得る例を示すが、他の動物を用いてもよい。抗体は以下のようにして作製した。まず、初回免疫として、フロイントの完全アジュバントに30μgのET合成ペプチドを混和し、雌のダチョウの腰部筋肉内に接種した。つぎに、追加免疫として初回免疫後、隔週毎に3回追加免疫した。この時の追加免疫は、フロイントの不完全アジュバントに30μgのET合成ペプチドを混和し、同じ雌ダチョウの腰部筋肉内に注射した。
【0028】
上記のようにしてET合成ペプチドで免疫を施した雌ダチョウから得た卵から以下のようにして抗体を精製した。
【0029】
<抗体の精製>
上記の雌ダチョウから得た卵の卵黄(Wmlであったとする)に5倍量のTBS(20mMTris−HCl、0.15MNaCl,0.5%NaN)と卵黄と同量(Wml)の10%デキストラン硫酸/TBSを加え20分間攪拌し、攪拌物を得た。そして、その攪拌物に1MCaCl/TBSを卵黄と同量(Wml)加え攪拌し、12時間静置し、第1の静置物を得る。その後、第1の静置物を15000rpmで20分間遠心分離し、上清を回収する。
【0030】
次に、その上清に最終濃度40%になるように硫酸アンモニウムを加え4℃で12時間静置し、第2の静置物を得る。その後、第2の静置物を15000rpmで20分間遠心分離し、沈殿物を回収する。最後に、その沈殿物に、卵黄と同量(Wml)のTBSに再懸濁し、TBSにて透析する。なお、ここで「TBSにて透析する」とは、再懸濁したものを透析膜のチューブに入れ、それをTBS中に浸漬させることで、チューブのなかに抗体のみを残すことである。
【0031】
この過程により、90%以上の純度のダチョウのIgY(以後「ダチョウ抗体」と呼ぶ。)の回収が可能となった。1個のダチョウ卵黄より2〜4gのIgYが得られた。このダチョウ抗体(IgY)はELISA(ET合成ペプチドを固相化し、HRP標識抗ダチョウIgYウサギIgYを2次抗体とした反応系)により、250000倍希釈してもETとの反応することを確認した。
【0032】
上記のようにして得たダチョウ抗体の治療効果を以下のようにして調べた。まず、ダチョウ抗体を生理食塩水に希釈し、鶏のヒナ鳥(ホワイトレグホン種、体重100g)の大腿部に注射した。容量は1羽につき0μg(つまり生理食塩水のみ)、25μg、50μgである。各容量を5羽のヒナ鳥に注射した。なお、ダチョウ抗体注射の2時間前に、高病原性鳥インフルエンザウイルスH5N1のインドネシア野外株(ウイルス感染価は10TCID50であったもの)を鼻腔内接種した。
【0033】
表1は、ウイルス接種5日後までのヒナ鳥の生存率を示している。抗体非注射(0μg)では生存率が0%(つまり死亡率100%)であったが、ダチョウ抗体25μgおよび50μg注射したヒナ鳥は生存率が100%(つまり死亡率0%)と顕著に上昇した。
【0034】
【表1】

【0035】
これにより、ダチョウ抗体の注射によりエンドセリン受容体が阻害され、ウイルス感染により誘発されるエンドセリンの血管収縮が抑制され、結果としてショック死が抑制されたと考えられる。エンドセリン受容体に対するダチョウ抗体を含む薬剤はダチョウ抗体の高病原性鳥インフルエンザに対する治療薬・予防薬として応用化可能である。
【産業上の利用可能性】
【0036】
本発明は、鳥インフルエンザウイルス治療薬として利用することができる。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
エンドセリン受容体拮抗物を含有する高病原性鳥インフルエンザ治療薬。
【請求項2】
前記エンドセリン受容体拮抗物はボセンタン水和物である請求項1に記載された高病原性鳥インフルエンザ治療薬。
【請求項3】
前記エンセドリン受容体拮抗物は抗原をエンドセリン受容体ETとして得られる抗体であることを特徴とする請求項1に記載された高病原性鳥インフルエンザ治療薬。
【請求項4】
前記エンドセリン受容体拮抗物は、エンドセリン受容体ETの合成ペプチドを感作させた鳥の卵から得たIgYである請求項1または3に記載された高病原性鳥インフルエンザ治療薬。
【請求項5】
前記鳥がダチョウである請求項4に記載された高病原性鳥インフルエンザ治療薬。
【請求項6】
ダチョウにエンドセリン受容体ETA合成ペプチドを免疫させる工程と、
前記ダチョウの卵から得た卵黄に5倍量のTBS(20mMTris−HCl、0.15MNaCl,0.5%NaN3)と前記卵黄と同量の10%デキストラン硫酸/TBSを加え20分間攪拌し攪拌物を得る工程と、
前記攪拌物に、1MCaCl2/TBSを前記卵黄と同量加えさらに攪拌し、12時間静置した静置物を得る工程と、
前記静置物を15000rpmで20分間遠心分離し、上清を回収する工程と、
前記上清に最終濃度40%になるように硫酸アンモニウムを加え4℃で12時間静置し、第2の静置物を得る工程と、
前記第2の静置物を15000rpmで20分間遠心分離し、沈殿物を回収する工程と、
前記沈殿物を前記卵黄と同量のTBSに再懸濁し、TBSにて透析する工程を有するダチョウ抗体の製造方法。

【図1】
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【公開番号】特開2011−231107(P2011−231107A)
【公開日】平成23年11月17日(2011.11.17)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2011−84676(P2011−84676)
【出願日】平成23年4月6日(2011.4.6)
【出願人】(509349141)京都府公立大学法人 (19)
【Fターム(参考)】