説明

人体誘電率模擬液剤

【課題】非イオン性界面活性剤と水とを含むファントム液剤、すなわち人体誘電率模擬液剤であって、粘度上昇や高い温度依存性を抑制した状態で、高周波帯域における電磁波の、人体に対する影響を試験することが可能な人体誘電率模擬液剤を提供する。
【解決手段】水性の非イオン性界面活性剤と、油性の非イオン性界面活性剤と、芳香族カルボン酸塩と、水とを含むようにして、人体誘電率模擬液剤を生成する。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、電磁波と人体との相互作用の研究を行うために用いられるファントムを作製するための、人体誘電率模擬液剤に関する。
【背景技術】
【0002】
携帯電話等の無線機器や電磁波を発する医用機器などを人体に近接して使用する場合、人体は電磁波に曝されその影響を受ける。しかしながら、試験の再現性および生体内部を観測することの難しさあるいは長時間同一の姿勢を維持することが困難であることなどの理由により、この影響を試験するために人体を使用することは困難である。そこで、人体に類似した誘電率(複素比誘電率)を有する材料で、人体の頭部または胸部を模擬したファントムと呼ばれる物を用いて試験することが行われてきた。
【0003】
また、人体による電磁波の吸収を評価するための指標として、SAR(比吸収率)が用いられてきている。SARは、電磁波に曝された際の、単位質量当たりの吸収電力である。SARの測定法は、国際電気標準会議(IEC)により画定されており(非特許文献1参照)、また、携帯無線端末の電波防護指針によってSARの許容値が示されている(非特許文献2参照)。
【0004】
しかしながら、非特許文献1には、1GHz以上の電磁波用のファントムを形成するための液剤として、水とグリコール系溶媒との混合物が推奨されている。しかしながら、グリコール系溶媒は、有害な有機溶媒に指定されているために廃棄にあたって産業廃棄物として処分しなければならず、また刺激臭を有しているために作業環境上好ましくないという問題点がある。また、グリコール系溶媒を含むファントム用液剤においては、前述の問題点に加えて、使用中に有機溶媒が揮発してその誘電率(複素比誘電率)が変化するという問題点がある。
【0005】
かかる観点より、非イオン性界面活性剤と水との混合液である無公害のファントム液剤が提案されている(非特許文献3参照)。一方、このような非イオン性界面活性剤を用いたファントム液剤を、上述のような1GHz以上、特には3GHz以上の高周波帯域での電磁波の評価に用いる際に、その誘電率(複素比誘電率)を実際の人体の誘電率(複素比誘電率)に合わせ込もうとした場合、ファントム液剤中の非イオン性界面活性剤の含有率を高くしなければならないという傾向があった。
【0006】
しかしながら、上記のようなファントム液剤中において、非イオン性界面活性剤の含有率を高めると、液剤の粘度が上昇して取り扱いが困難になるとともに、ファントム液剤の誘電率の温度依存性が大きくなってしまい、実際に使用できる温度範囲が狭小となって、試験に供する際の環境を厳密に制御しなければならないという問題が生じていた。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0007】
【非特許文献1】IEC 62209-1
【非特許文献2】電波防護指針、電気通信技術審議会答申諮問89号、1997
【非特許文献3】"Traceable Dielectric Measurements of New Liquids for Specific Absorption Rate (SAR) Measurement in the Frequency Range 300MHz to 6 GHz", Proc. Conference on Precision Electromagnetic Measurements, 2004年1月
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
本発明は、非イオン性界面活性剤と水とを含むファントム液剤、すなわち人体誘電率模擬液剤であって、粘度上昇や高い温度依存性を抑制した状態で、高周波帯域における電磁波の、人体に対する影響を試験することが可能な人体誘電率模擬液剤を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0009】
上記目的を達成すべく、本発明は、
水性の非イオン性界面活性剤と、油性の非イオン性界面活性剤と、芳香族カルボン酸塩と、水とを具えることを特徴とする、人体誘電率模擬液剤に関する。
【0010】
本発明の人体誘電率模擬液剤においては、水性の非イオン性界面活性剤及び油性の非イオン性界面活性剤を用いているので、高周波帯域の電磁波の試験に合わせて上述した非イオン性界面活性剤の含有率を増大させても、水性の非イオン性界面活性剤及び油性の非イオン性界面活性剤は混合して乳化し、コロイド状となる。したがって、人体誘電率模擬液剤の粘度の増大及び温度依存性を低減することができるようになる。
【0011】
結果として、粘度上昇や高い温度依存性を抑制した状態で、高周波帯域における電磁波の、人体に対する影響を試験することが可能な人体誘電率模擬液剤を提供することができるようになる。
【0012】
なお、本発明においては、上述した水性の非イオン性界面活性剤及び油性の非イオン性界面活性剤に加えて芳香族カルボン酸塩を含んでいるので、本発明の人体誘電率模擬液剤の腐敗等を防止することができる。
【0013】
また、本発明の人体誘電率模擬液剤は、基本となる溶媒が水であるので、有機溶媒を用いた場合のように、揮発によって使用中の組成が変化してしまい誘電率(複素比誘電率)が変化(増大)してしまうような問題も生じない。この結果、当初設定した誘電率(複素比誘電率)を長期に亘って安定して維持することができる。また、上記人体誘電率模擬液剤を、例えば悪環境下に配置あるいは保存した場合において、溶媒である水が多少蒸発したとしても、水を加えるのみで当初設定した誘電率(複素比誘電率)を簡易に再現することができる。
【発明の効果】
【0014】
以上説明したように、本発明によれば、非イオン性界面活性剤と水とを含むファントム液剤、すなわち人体誘電率模擬液剤において、粘度上昇や高い温度依存性を抑制した状態で、高周波帯域における電磁波の、人体に対する影響を試験することが可能な人体誘電率模擬液剤を提供することができる。
【発明を実施するための形態】
【0015】
次に、本発明の詳細、並びにその他の特徴及び利点について、発明の詳細な説明に基づいて説明する。
【0016】
(水性の非イオン性界面活性剤)
本発明で使用することが可能な水性の非イオン性界面活性剤としては、脂肪酸系界面活性剤(ショ糖脂肪酸エステル類、ソルビタン脂肪酸エステル類、ポリオキシエチレンソルビタン脂肪酸エステル類、ポリオキシエチレン脂肪酸エステル類など)、高級アルコール系界面活性剤(ポリオキシエチレンアルキルエーテル類など)、アルキルフェノール系界面活性剤(ポリオキシエチレンアルキルフェノールエーテル類など)、脂肪酸アミド系界面活性剤(脂肪酸アルカノールアミド類など)などを例示することができる。
【0017】
これらの中でも比較的入手が容易であり、特に高周波帯域での電磁波において、人体に類似した誘電率(複素比誘電率)を簡易に形成し、実現することができるという観点から、ポリオキシエチレンソルビタン脂肪酸エステル類が好ましい。
【0018】
このポリオキシエチレンソルビタン脂肪酸エステル類は、Tweenの商品名で販売されており、例えば、ポリオキシエチレンソルビタンモノラウエート(Tween20)、ポリオキシエチレンソルビタンモノパルミテート(Tween40)、ポリオキシエチレンソルビタンモノステアレート(Tween60)、及びポリオキシエチレンソルビタンモノオレエート(Tween80)を挙げることができる。
【0019】
(油性の非イオン性界面活性剤)
本発明で使用することが可能な油性の非イオン性界面活性剤としても、脂肪酸系界面活性剤(ショ糖脂肪酸エステル類、ソルビタン脂肪酸エステル類、ポリオキシエチレンソルビタン脂肪酸エステル類、ポリオキシエチレン脂肪酸エステル類など)、高級アルコール系界面活性剤(ポリオキシエチレンアルキルエーテル類など)、アルキルフェノール系界面活性剤(ポリオキシエチレンアルキルフェノールエーテル類など)、脂肪酸アミド系界面活性剤(脂肪酸アルカノールアミド類など)などを例示することができる。
【0020】
これらの中でも比較的入手が容易であり、特に高周波帯域での電磁波において、人体に類似した誘電率(複素比誘電率)を簡易に形成し、実現することができるという観点から、ポリオキシエチレンソルビタン脂肪酸エステル類が好ましい。具体的には、Tweenの商品名で販売されている、ポリオキシエチレンソルビタントリステアレート(Tween65)、及びおよびポリオキシエチレンソルビタントリオレエート(Tween85)を挙げることができる。
【0021】
なお、上述した水性の非イオン性界面活性剤及び油性の非イオン性界面活性剤は、それぞれ目的とする誘電率(複素比誘電率)が得られるように、所定量の割合で混合する。但し、水性の非イオン性界面活性剤及び油性の非イオン性界面活性剤は、人体誘電率模擬液剤の総重量を基準として40〜60質量%の量で存在することが好ましい。
【0022】
また、水性の非イオン性界面活性剤及び油性の非イオン性界面活性剤を用いているので、高周波帯域の電磁波の試験に合わせて上述した非イオン性界面活性剤の含有率を増大させても、水性の非イオン性界面活性剤及び油性の非イオン性界面活性剤は混合して乳化してコロイド状となり、人体誘電率模擬液剤の粘度の増大及び温度依存性を低減することができる。
【0023】
(芳香族カルボン酸塩)
本発明の人体誘電率模擬液剤は、上述した非イオン性界面活性剤に加えて、芳香族カルボン酸塩を含む。この芳香族カルボン酸塩は、人体誘電率模擬液剤の腐敗等を防止する作用を有する。
【0024】
上記芳香族カルボン酸塩を構成する芳香族カルボン酸としては、安息香酸、ナフトエ酸、トルイル酸、デヒドロ酢酸、クロロ安息香酸、ヒドロキシ安息香酸(サリチル酸を含む)、ジヒドロキシ安息香酸、ジニトロ安息香酸や、それらの位置異性体を挙げることができる。
【0025】
また、芳香族カルボン酸の塩を形成するためのイオンとしては、リチウム、ナトリウム、カリウム、ルビジウム、セシウムなどのアルカリ金属のイオンを用いることができる。
【0026】
上述した腐敗等の防止の観点から、好ましい芳香族カルボン酸塩は安息香酸塩であり、特に好ましくは安息香酸ナトリウムである。
【0027】
なお、芳香族カルボン酸塩は、人体誘電率模擬液剤の本来的な作用効果を阻害しないような割合で含むことが必要であり、具体的には人体誘電率模擬液剤の総重量を基準として、0.5〜2質量%、より好ましくは1.0〜1.3質量%の範囲内とすることが好ましい。
【0028】
(水)
本発明の人体誘電率模擬液剤は、溶媒としての水を含む。水としては、蒸留水、イオン交換水、脱イオン水などの精製水を用いることが好ましい。
【0029】
なお、溶媒として水を用いていることにより、有機溶媒を用いた場合のように、揮発によって使用中の組成が変化してしまい誘電率(複素比誘電率)が変化(増大)してしまうような問題も生じない。この結果、当初設定した誘電率(複素比誘電率)を長期に亘って安定して維持することができる。また、上記人体誘電率模擬液剤を、例えば悪環境下に配置あるいは保存した場合において、溶媒である水が多少蒸発したとしても、水を加えるのみで当初設定した誘電率(複素比誘電率)を簡易に再現することができる。
【0030】
また、本発明の人体誘電率模擬液剤は、任意選択的成分として、塩化ナトリウム(食塩)などの添加剤をさらに含むことができる。これら添加剤は、通常は人体誘電率模擬液剤の2質量%以下、好ましくは1.4質量%以下の量で用いることが望ましい。
【0031】
なお、本発明における電磁波の高周波帯域とは、例えば2GHz以上の周波数帯域を指し、実用面では、第3〜第4世代携帯電話及び固定および移動体ワイヤレス・ブロードバンド機器などの用途を意図している。
【0032】
さらに、本発明における誘電率はいわゆる複素比誘電率を意味しており、その実部は誘電率に相当し、その虚部は導電率に相当する。複素比誘電率の虚部と導電率との関係は、下記式より導くことができる。
σ=ε”ωε
(σ:導電率(S/m)、ε”:複素比誘電率の虚部、ω:角周波数(=2πf)、
f:電磁波の周波数(Hz)、ε:自由空間の誘電率(8.854×10−12(F/m))
【実施例】
【0033】
(実施例1)
3500MHz帯用の人体誘電率模擬液剤
イオン交換水59.0wgに対して、32.7wgのポリオキシエチレン(20)ソルビタンモノラウエート(Tween20)、8.0wgのポリオキシエチレン(20)ソルビタントリオレエート(Tween85)、及び0.3wgの安息香酸ナトリウムを溶解させ、人体誘電率模擬液剤を生成した。その結果、3500MHz帯における頭部等価組織の複素比誘電率の目標値(複素比誘電率:実部38.23、虚部14.63)を得ることができた。
【0034】
(実施例2)
5200MHz帯用の人体誘電率模擬液剤
イオン交換水62.9wgに対して、17.8wgのポリオキシエチレン(20)ソルビタンモノラウエート(Tween20)、19.0wgのポリオキシエチレン(20)ソルビタントリオレエート(Tween85)、及び0.3wgの安息香酸ナトリウムを溶解させ、人体誘電率模擬液剤を生成した。その結果、5200MHz帯における頭部等価組織の複素比誘電率の目標値(複素比誘電率:実部35.92、虚部16.05)を得ることができた。
【0035】
(実施例3)
4000MHz帯用の人体誘電率模擬液剤
イオン交換水59.0wgに対して、32.7wgのポリオキシエチレン(20)ソルビタンモノパルミテート(Tween40)、8.0wgのポリオキシエチレン(20)ソルビタントリオレエート(Tween85)、及び0.3wgの安息香酸ナトリウムを溶解させ、人体誘電率模擬液剤を生成した。その結果、4000MHz帯における頭部等価組織の複素比誘電率の目標値(複素比誘電率:実部36.85、虚部15.44)を得ることができた。
【0036】
(実施例4)
5200MHz帯用の人体誘電率模擬液剤
イオン交換水59.9wgに対して、33.8wgのポリオキシエチレン(20)ソルビタンモノオレエート(Tween80)、6.0wgのポリオキシエチレン(20)ソルビタントリオレエート(Tween85)、及び0.3wgの安息香酸ナトリウムを溶解させ、人体誘電率模擬液剤を生成した。その結果、5200MHz帯における頭部等価組織の複素比誘電率の目標値(複素比誘電率:実部36.08、虚部16.09)を得ることができた。
【0037】
(実施例5)
上記実施例1〜4において、安息香酸ナトリウムの代わりに、それぞれデヒドロ酢酸、デヒドロ酢酸ナトリウム水和物、又はサリチル酸を同量用いて人体誘電率模擬液剤を生成した。その結果、安息香酸ナトリウムを変化させたことによる複素比誘電率の値に変化は見られなかった。
【0038】
以上、本発明を上記具体例に基づいて詳細に説明したが、本発明は上記具体例に限定されるものではなく、本発明の範疇を逸脱しない限りにおいてあらゆる変形や変更が可能である。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
水性の非イオン性界面活性剤と、油性の非イオン性界面活性剤と、芳香族カルボン酸塩と、水とを具えることを特徴とする、人体誘電率模擬液剤。
【請求項2】
前記水性の非イオン性界面活性剤及び前記油性の非イオン性界面活性剤は、ポリオキシエチレンソルビタン脂肪酸エステル類であることを特徴とする、請求項1に記載の人体誘電率模擬液剤。
【請求項3】
前記水性の非イオン性界面活性剤は、ポリオキシエチレンソルビタンモノラウエート、ポリオキシエチレンソルビタンモノパルミテート、ポリオキシエチレンソルビタンモノステアレート、及びポリオキシエチレンソルビタンモノオレエートからなる群より選ばれる少なくとも一種であり、
前記油性の非イオン性界面活性剤は、ポリオキシエチレンソルビタントリステアレート及びおよびポリオキシエチレンソルビタントリオレエートの少なくとも一方であることを特徴とする、請求項2に記載の人体誘電率模擬液剤。
【請求項4】
前記芳香族カルボン酸塩は、安息香酸ナトリウムであることを特徴とする、請求項1〜3のいずれか一に記載の人体誘電率模擬液剤。
【請求項5】
前記水性の非イオン性界面活性剤及び前記油性の非イオン性界面活性剤は、前記人体誘電率模擬液剤の総重量を基準として40〜60質量%の量で存在することを特徴とする、請求項1〜4のいずれか一に記載の人体誘電率模擬液剤。
【請求項6】
前記芳香族カルボン酸塩は、前記人体誘電率模擬液剤の総重量を基準として1〜2質量%の量で存在することを特徴とする、請求項1〜5のいずれか一に記載の人体誘電率模擬液剤。

【公開番号】特開2011−80882(P2011−80882A)
【公開日】平成23年4月21日(2011.4.21)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2009−233887(P2009−233887)
【出願日】平成21年10月7日(2009.10.7)
【出願人】(301022471)独立行政法人情報通信研究機構 (1,071)
【出願人】(000102739)エヌ・ティ・ティ・アドバンステクノロジ株式会社 (265)