説明

飛行時間質量分析装置及び飛行時間質量分析方法

【課題】ユーザーの手間を軽減しながら、指定されたイオンの質量電荷比に応じた質の良いマススペクトルを得ることができる飛行時間質量分析装置及び飛行時間質量分析方法を提供すること。
【解決手段】記憶部50は、既知物質の質量電荷比の値と、イオン源10の遅延引き出し法に関連する遅延引き出しパラメーターを含む所与の調整パラメーターの値との対応関係を定義する調整テーブル56を記憶する。パラメーター調整部45は、調整テーブル56に基づいて、指定された質量電荷比の値に対応付けられる調整パラメーターの値を算出する。パラメーター設定部41は、パラメーター調整部45が算出した調整パラメーターの値に基づいて、イオン源10の遅延引き出しパラメーターを設定する。飛行時間計測部42は、遅延引き出しパラメーターが設定されたイオン源10で発生したイオンが検出器30に到達するまでの飛行時間を計測する。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、微量化合物の定量分析、定性一斉分析、および試料イオンの構造解析分野に用いられる飛行時間質量分析装置及び飛行時間質量分析方法に関する。
【背景技術】
【0002】
飛行時間質量分析計(TOFMS:Time Of Flight Mass Spectrometer)は、イオンを一定の加速電圧Vで加速・飛行させ、検出器に到達するまでに要する時間からイオンの質量電荷比(m/z)を求める質量分析装置である。このとき、エネルギー保存則から、次式(1)が成り立つ。
【0003】
【数1】

【0004】
ただし、vはイオンの速度、mはイオンの質量、zはイオンの価数、eは素電荷である。
【0005】
式(1)より、イオンの速度vは、次式(2)で表される。
【0006】
【数2】

【0007】
従って、イオンが一定距離Lの後に置いた検出器に到着するまでの飛行時間Tは、次式(3)で表される。
【0008】
【数3】

【0009】
式(3)よりわかるように、飛行時間Tがイオンのm/zによって異なることを利用して、イオンをm/z値で分離することができる。
【0010】
TOFMSから得られる結果は、飛行時間Tを変換したm/z値と各m/z値に対するイオン強度との関係であり、この関係を表示したものはマススペクトルと呼ばれる。このとき、Tをm/zに変換する作業をキャリブレーションと呼び、変換に利用する式をキャリブレーション式と呼ぶ。理論的に式(3)により変換できるが、より高い質量精度を得るためには、系統的な誤差を吸収するような多項式が利用されることが多い。
【0011】
図16(A)に示すような、イオン源から直線的に検出器まで飛行させる直線型TOFMSや、図16(B)に示すような、イオン源と検出器の間に反射場を置くことにより、エネルギー収束性の向上と飛行距離の延長を可能にする反射型TOFMSが広く利用されている。
【0012】
TOFMSの質量分解能Rは、総飛行時間をT、ピーク幅をΔTとすると、次式(4)で定義される。
【0013】
【数4】

【0014】
すなわち、ピーク幅ΔTを一定にして、総飛行時間Tを延ばすことができれば、質量分解能を向上させられる。しかし、従来の直線型、反射型のTOFMSでは、総飛行時間Tを延ばすこと、すなわち総飛行距離を延ばすことは装置の大型化に直結する。装置の大型化を避け、かつ高質量分解能を実現するために開発された装置が、多重周回型TOFMS(非特許文献1)である。この装置は、円筒電場にマツダプレートを組み合わせたトロイダル電場を4個用い、8の字型の周回軌道を多重周回させることにより、総飛行時間Tを伸ばすことができる。この装置では、初期位置・初期角度・初期運動エネルギーによる検出面での空間的な広がりと時間的な広がりを1次の項まで収束することに成功している。
【0015】
しかし、閉軌道を多重周回する飛行時間質量分析装置には、「追い越し」の問題が存在する。これは閉軌道を多重周回するため、軽いイオン(速度が大きい)が重いイオン(速度が小さい)を追い越してしまうことにより起こる。このため、検出面に軽いイオンから順に到着するという飛行時間質量分析計の基本概念が通用しなくなる。
【0016】
この問題を解決するために考案されたのが、らせん軌道型飛行時間質量分析装置である。らせん軌道型飛行時間質量分析装置は、閉軌道の始点と終点を閉軌道面に対して垂直方向にずらすことを特徴としている。これを実現するためには、イオンをはじめから斜めから入射する方法(特許文献1)や、デフレクタを用いて閉軌道の始点と終点を垂直方向にずらす方法(特許文献2)、積層型トロイダル電場を用いる方法(特許文献3)がある。
【0017】
また、同様のコンセプトとして、追い越しの起こる多重反射型TOFMS(特許文献4)の軌道をジグザグ型にしたTOFMSも考案されている(特許文献5)。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0018】
【特許文献1】特開2000−243345号公報
【特許文献2】特開2003−86129号公報
【特許文献3】特開2006−12782号公報
【特許文献4】英国特許第2080021号明細書
【特許文献5】国際公開第2005/001878号明細書
【非特許文献】
【0019】
【非特許文献1】M. Toyoda, D. Okumura, M. Ishihara and I. Katakuse, J. Mass Spectrom., 2003, 38, 1125-1142.
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0020】
ところで、TOFMSのイオン源の1つに、マトリックス支援レーザー脱離/イオン化法(MALDI)法により試料をイオン化するものがある。以下、MALDI法とTOFMSを組み合わせた装置をMALDI−TOFMSと呼ぶ。MALDI法は、使用するレーザー光波長に吸収帯をもつマトリックス(液体や結晶性化合物、金属粉など)に試料を混合溶解させて固化し、これにレーザー照射して試料を気化あるいはイオン化させる方法である。通常のMALDI−TOFMSでは、導電性のサンプルプレート上に、複数のスポットが準備され、スポットごとにサンプルとマトリックスの混合物を結晶化させる。このサンプルプレートはマイクロタイタープレート形式であることが多い。ユーザーは、測定前に試料とマトリックスを混合した溶液をこのサンプルプレート上に準備する。最近では、液体クロマトグラフィーなどの分離手段から溶出物を順次マトリックスと混合し、サンプルプレート上に滴下する方法も用いられる。
【0021】
MALDI法に代表されるレーザーによるイオン化では、イオン生成時の初期エネルギー分布が大きく、これを飛行軸方向に収束させるため、遅延引き出し法がほとんどの場合で用いられる。これはレーザー照射より数100nsec程度遅れてパルス電圧を印加する方法である。遅延引き出し法の採用によりMALDI−TOFMSは大幅に性能を向上させた。
【0022】
しかしながら、遅延引き出し法の欠点としてm/z値により収束点の位置がわずかに異なることが挙げられる。それにより、あるm/z値で質量分解能が高くなるように装置条件を設定すると、そのm/z値から離れるほど質量分解能が悪化してしまう。質の良いマススペクトルを取得するためには、測定レンジあるいは注目するm/z値により装置条件を変更する必要があるが、現状では、ユーザーの経験に基づいて最適な装置条件に調整する作業が必要であり、この調整に手間を要していた。
【0023】
本発明は、以上のような問題点に鑑みてなされたものであり、本発明のいくつかの態様によれば、ユーザーの手間を軽減しながら、指定されたイオンの質量電荷比に応じた質の良いマススペクトルを得ることができる飛行時間質量分析装置及び飛行時間質量分析方法を提供することができる。
【課題を解決するための手段】
【0024】
(1)本発明は、
レーザー照射によりサンプルをイオン化し、発生したイオンを遅延引き出し法により加速するイオン源と、
前記イオン源から飛行して到達したイオンを検出する検出器と、
既知物質の質量電荷比の値と、前記イオン源の前記遅延引き出し法に関連する遅延引き出しパラメーターを含む所与の調整パラメーターの値との対応関係を定義する調整テーブルを記憶する記憶部と、
前記調整テーブルに基づいて、指定された質量電荷比の値に対応付けられる前記調整パラメーターの値を算出するパラメーター調整部と、
前記パラメーター調整部が算出した前記調整パラメーターの値に基づいて、前記イオン源の前記遅延引き出しパラメーターを設定するパラメーター設定部と、
前記遅延引き出しパラメーターが設定された前記イオン源で発生したイオンが前記検出器に到達するまでの飛行時間を計測する飛行時間計測部と、を含む、飛行時間質量分析装置である。
【0025】
本発明によれば、既知物質の質量電荷比の値と遅延引き出しパラメーターを含む調整パラメーターの値との対応関係が定義された調整テーブルに基づいて、指定された質量電荷比の値に対応付けられる調整パラメーターの値が算出され、遅延引き出しパラメーターが設定される。そのため、例えばユーザーが調整の中心としたい質量電荷比の値を指定すれば、これに応じた適切な遅延引き出しパラメーターが自動的に算出されるので、ユーザーが遅延引き出しパラメーターを自ら調整する必要がない。従って、本発明によれば、ユーザーの手間を軽減しながら、指定されたイオンの質量電荷比に応じた質の良いマススペクトルを得ることができる。
【0026】
(2)この飛行時間質量分析装置において、
前記遅延引き出しパラメーターは、
前記イオン源のサンプルプレートに印加するサンプルプレート電圧と前記イオン源の加速電極に印加するパルス電圧との比を特定可能なパラメーター及び前記パルス電圧の発生タイミングを特定可能なパラメーターの少なくとも一方を含むようにしてもよい。
【0027】
(3)この飛行時間質量分析装置において、
前記パラメーター調整部は、
前記指定された質量電荷比の値に応じて、前記調整テーブルに含まれる前記調整パラメーターの値を線形補間することにより、前記指定された質量電荷比の値に対応付けられる前記調整パラメーターの値を算出するようにしてもよい。
【0028】
このようにすれば、指定された質量電荷比の値に対する適切な調整パラメーターの値を自動的に算出することができる。
【0029】
(4)この飛行時間質量分析装置において、
前記パラメーター調整部は、
前記調整テーブルに含まれる前記調整パラメーターの値と前記質量電荷比の値との関係式を多項式で近似し、当該多項式を用いて前記指定された質量電荷比の値に対応付けられる前記調整パラメーターの値を算出するようにしてもよい。
【0030】
このようにしても、指定された質量電荷比の値に対する適切な調整パラメーターの値を自動的に算出することができる。
【0031】
(5)この飛行時間質量分析装置において、
前記パラメーター調整部は、
前記調整テーブルに含まれる各々の前記調整パラメーターの値が適用される質量電荷比の範囲を互いに重ならないように設定し、前記指定された質量電荷比の値が含まれる前記質量電荷比の範囲に適用される前記調整パラメーターの値を、前記指定された質量電荷比の値に対応付けられる前記調整パラメーターの値とするようにしてもよい。
【0032】
このようにすれば、計算負荷を軽減しながら、指定された質量電荷比の値に対して適切な調整パラメーターの値を自動的に選択することができる。
【0033】
(6)この飛行時間質量分析装置において、
前記調整パラメーターは、
前記イオン源に照射するレーザーの強度及び前記検出器の電圧の少なくとも一方を含み、
前記パラメーター設定部は、
前記パラメーター調整部が算出した前記調整パラメーターの値に基づいて、前記レーザーの強度及び前記検出器の電圧の少なくとも一方を設定するようにしてもよい。
【0034】
一般的に、イオンの質量電荷比の値が大きいほど、イオン化効率、イオン透過率、検出感度などが悪化する傾向がある。レーザーの強度を上げることでイオン化効率やイオン透過率を向上させることができる。また、検出器の電圧を上げることで検出感度が向上する。そこで、このように、調整パラメーターにレーザーの強度や検出器の電圧値を含め、指定された質量電荷比の値に応じてレーザーの強度や検出器の電圧を適切に調整することで、イオンの質量電荷比の値によらず均一な質のスペクトルを取得することができる。
【0035】
(7)この飛行時間質量分析装置は、
前記飛行時間計測部が計測した飛行時間を、所定の変換式に基づいて質量電荷比に変換する質量電荷比算出部をさらに含み、
前記調整テーブルは、
前記調整パラメーターとして、前記既知物質の各々について、当該調整テーブルに含まれる当該既知物質の前記遅延引き出しパラメーターの値を前記イオン源に設定して計測される飛行時間から前記変換式に基づいて変換した質量電荷比の値を前記調整テーブルに含まれる当該既知物質の質量電荷比の値に補正するための補正量を含み、
前記質量電荷比算出部は、
前記調整テーブルに含まれる前記補正量に基づいて前記変換式の係数を変更するようにしてもよい。
【0036】
遅延引き出しパラメーターを変更するとイオンの飛行時間が変わるので、飛行時間を質量電荷比に変換する変換式の係数を変更しなければ、イオンの見かけ上の質量電荷比の値が真の値からずれることになる。そこで、このように、調整パラメーターに、既知物質に対する質量電荷比の値のずれを補正するための補正量を含め、この補正量に基づいて、指定された質量電荷比の値に応じて変換式の係数を変更することで、真の質量電荷比の値に修正することができる。
【0037】
(8)この飛行時間質量分析装置において、
前記パラメーター調整部は、
前記イオン源のサンプルプレート上に配置された測定対象となるスポット毎に、あらかじめ指定された質量電荷比の値に対応付けられる前記調整パラメーターの値を算出し、
前記パラメーター設定部は、
前記イオン源の測定対象となるとなるスポット毎に、前記パラメーター調整部が算出した前記調整パラメーターの値に基づいて、前記遅延引き出しパラメーターを設定するようにしてもよい。
【0038】
このように、測定対象となるスポット毎に調整の中心となる質量電荷比の値をあらかじめ指定しておくことで、未知試料の測定結果に応じてユーザーが調整の中心となる質量電荷比の値を指定して再度測定し直す必要がなくなる。従って、スポット毎に測定対象のマスレンジを推測することができるような場合は、複数のスポットに対して連続した自動測定が可能となるとともに、各スポットに対して1回の測定で済む。
【0039】
(9)この飛行時間質量分析装置において、
前記パラメーター調整部は、
前記検出器の検出信号に基づいて、最も強い強度に対応する質量電荷比の値を算出し、算出した当該質量電荷比の値を指定して前記調整パラメーターの値を算出するようにしてもよい。
【0040】
このように、測定対象となるスポット毎に1回目の測定を行い、最も強い強度に対応する質量電荷比の値が調整の中心となるような調整パラメーターを算出し、2回目の測定を行うことで、スポット毎に測定対象のマスレンジを推測できないような場合でも複数のスポットに対して連続した自動測定が可能となる。
【0041】
(10)この飛行時間質量分析装置において、
前記イオン源は、
MALDI法によりサンプルをイオン化するようにしてもよい。
【0042】
(11)本発明は、
既知物質の質量電荷比の値と、レーザー照射によりサンプルをイオン化し、発生したイオンを遅延引き出し法により加速するイオン源の当該遅延引き出し法に関連する遅延引き出しパラメーターを含む所与の調整パラメーターの値との対応関係を定義する調整テーブルに基づいて、指定された質量電荷比の値に対応付けられる前記調整パラメーターの値を算出するパラメーター調整ステップと、
前記パラメーター調整ステップで算出した前記調整パラメーターの値に基づいて、前記イオン源の前記遅延引き出しパラメーターを設定するパラメーター設定ステップと、
前記遅延引き出しパラメーターが設定された前記イオン源で発生したイオンが前記検出器に到達するまでの飛行時間を計測する飛行時間計測ステップと、を含む、飛行時間質量分析方法である。
【図面の簡単な説明】
【0043】
【図1】本実施形態の飛行時間質量分析装置の構成を示す図。
【図2】本実施形態のイオン源の概略構成を示す図。
【図3】図3(A)はサンプルプレートに印加される電圧波形の一例を示す図であり、図3(B)は加速電極に印加される電圧波形の一例を示す図。
【図4】サンプルレートと加速電極の間の電位勾配を示す図。
【図5】調整テーブルの一例を示す図。
【図6】調整パラメーターの算出方法の一例を示す図。
【図7】未知試料の質量分析方法の一例を示すフローチャート図。
【図8】既知物質に対するパラメーター調整前のマススペクトルの概略図。
【図9】既知物質に対するパラメーター調整後のマススペクトルの概略図。
【図10】未知試料に対するパラメーター調整前後のマススペクトルの概略図。
【図11】第2実施形態における調整テーブルの一例を示す図。
【図12】第3実施形態における調整テーブルの一例を示す図。
【図13】m/z補正量の算出方法の一例を示す図。
【図14】第4実施形態における未知試料の質量分析方法の一例を示すフローチャート図。
【図15】第5実施形態における処理部による処理の一例を示すフローチャート図。
【図16】図16(A)は直線型TOFMSの概念図であり、図16(B)は反射型TOFMSの概念図。
【発明を実施するための形態】
【0044】
以下、本発明の好適な実施形態について図面を用いて詳細に説明する。なお、以下に説明する実施の形態は、特許請求の範囲に記載された本発明の内容を不当に限定するものではない。また以下で説明される構成の全てが本発明の必須構成要件であるとは限らない。
【0045】
1.第1実施形態
(1)飛行時間質量分析装置
図1は、本実施形態の飛行時間質量分析装置の構成を示す図である。図1に示すように、本実施形態の飛行時間質量分析装置(MALDI−TOFMS)1は、イオン源10、分析部20、検出器30、処理部40、記憶部50、表示部60、操作部70を含んで構成されている。なお、本実施形態の飛行時間質量分析装置は、これらの構成要素の一部を省略した構成としてもよい。
【0046】
イオン源10は、所定の方法で試料をイオン化し、一定のパルス電圧を発生させて、生成したイオンを検出器30に向けて加速する。特に本実施形態のイオン源10は、マトリックス支援レーザー脱離イオン化(MALDI)法を用いて試料をイオン化するイオン源(MALDIイオン源)であり、遅延引き出し法によりレーザー照射から所定時間遅れてパルス電圧を発生させる。
【0047】
図2は、本実施形態のイオン源(MALDIイオン源)10の概略構成を示す図である。図2に示すように、サンプルプレート11のスポット上に、マトリックス(液体や結晶性化合物、金属粉など)に試料を混合溶解させて固化したサンプル2を載せる。レンズ14、ミラー15によりレーザーをサンプル2に照射し、サンプル2を気化あるいはイオン化する。サンプルプレート11からL、Lだけ離れた位置に加速電極12、13がそれぞれ配置されており、サンプルプレート11のスポット上で生成されたイオンは、加速電極12、13に印加された電圧により加速されて図1の分析部20に導入される。なお、サンプル2の状態が観察できるように、ミラー16、レンズ17、CCDカメラ18を配置している。
【0048】
図3(A)及び図3(B)は、遅延引き出し法による飛行時間測定を実現するために図2のサンプルプレート11及び加速電極12にそれぞれ印加される電圧波形の一例を示す図である。図3(A)及び図3(B)の横軸は、処理部40がレーザー発振を知らせるレーザーからの信号を受けた時刻からの経過時間を表している。また、本実施形態では、加速電極13の電位を固定し、図3(A)及び図3(B)の縦軸は、加速電極13の電位に対するサンプルプレート11及び加速電極12の相対的な電位をそれぞれ示している。
【0049】
図3(A)に示すように、本実施形態では、サンプルプレート11の電位は一定電位Vsに設定される。一方、図3(B)に示すように、加速電極12の電位は、時刻0〜Tdまではサンプルプレート11の電位Vsと同電位に設定され、時刻Tから所定時間Tはサンプルプレート11の電位Vsと異なる電位Vに設定される。これにより、加速電極12に、時間幅がT、電圧幅が|Vs−V|のパルス電圧が発生する。
【0050】
図4(A)は、時刻0〜Tdにおけるサンプルレート11と加速電極13の間の電位勾配を示す図であり、図4(B)は、時刻Td〜Td+Tにおけるサンプルレート11と加速電極13の間の電位勾配を示す図である。図4(A)及び図4(B)の横軸は、サンプルプレート11からの距離を表している。また、図4(A)及び図4(B)の縦軸は、加速電極13の電位に対する相対的な電位をそれぞれ示している。
【0051】
本実施形態では、図4(A)に示すように、時刻0〜Tdでは、サンプルプレート11と加速電極12は同電位であり、加速電極12から加速電極13への電位勾配が生じている。一方、図4(B)に示すように、時刻Td〜Td+Tでは、サンプルプレート11から加速電極12へ電位勾配と加速電極12から加速電極13への電位勾配が生じている。
【0052】
このように、処理部40がレーザー発振を知らせるレーザーからの信号を受けてから所定の遅延時間Td(例えば数100nsec)の経過後に、加速電極12の電圧をVsからVに高速で変化させてサンプルプレート11と加速電極12の間に電位勾配を作ることで、イオンを加速させることができる。飛行時間計測の開始時間は、パルス電圧の立ち上がり時間と同期させる。
【0053】
図1に戻り、分析部20は、イオン源10で生成されたイオンを、質量電荷比(m/z)の値に応じた飛行時間Tの違いに基づいて分離する。具体的には、前記の式(3)により、飛行時間Tがイオンのm/z値によって異なることを利用してイオンを分離する。なお、分析部20は、リニア型の飛行時間質量分析装置であればイオン源10と検出器30の間の自由空間に相当し、反射型の飛行時間質量分析装置であれば反射場を含むイオン源10と検出器30の間の空間に相当する。
【0054】
分析部20でm/z値に応じて分離されたイオンは検出器30に到達して検出される。具体的には、検出器30は、入射するイオンの量(強度)に応じた検出信号を出力する。この検出器30の検出信号は処理部40に出力される。
【0055】
処理部40は、検出器30の検出信号に基づいて、イオン源10で発生したイオンの定性分析や定量分析の処理を行う。特に本実施形態では、処理部40は、パラメーター設定部41、飛行時間計測部42、質量電荷比算出部43、マススペクトル生成部44、マスパラメーター調整部45を含んで構成されている。処理部40の各部を専用回路で実現してもよいし、処理部40をマイクロコンピューター等で実現し、不図示の記憶部に記憶されたプログラムを実行することで各部として機能させるようにしてもよい。なお、本実施形態の処理部40は、これらの構成要素の一部を省略したり、新たな構成要素を追加した構成としてもよい。
【0056】
パラメーター設定部41は、イオン源10、分析部20及び検出器30のパラメーター(以下、「装置パラメーター」という)を設定する処理を行う。装置パラメーターとしては、イオン源10の遅延引き出し法に関連するパラメーター(以下、「遅延引き出しパラメーター」という)やレーザーの強度、検出器30の電圧などが挙げられる。また、本実施形態では、装置パラメーターのうち、操作部70を介してユーザーにより指定されたm/z値に対応付けて設定値を変更する装置パラメーターを調整パラメーターと呼ぶ。特に、本実施形態では、遅延引き出しパラメーターが調整パラメーターに含まれる。
【0057】
遅延引き出しパラメーターは、例えば、サンプルプレートに印加する電圧(以下「サンプルプレート電圧」という)と加速電極12に印加するパルス電圧との比を特定可能なパラメーターや当該パルス電圧の発生タイミングを特定可能なパラメーターなどである。サンプルプレート電圧とパルス電圧との比を特定可能なパラメーターは、例えば、サンプルレート電圧Vsとパルス電圧の電圧幅|Vs−V|との比、あるいは、VsとVとの比などである。パルス電圧の発生タイミングを特定可能なパラメーターは、例えば、遅延時間Tdなどである。
【0058】
飛行時間計測部42は、検出器30の検出信号に基づいて、イオン源10で発生したイオンが検出器30に到達するまでの飛行時間を計測する処理を行う。そして、処理部40は、計測された飛行時間と検出器30の検出強度を対応づけてスペクトル情報52を生成し、記憶部50に保存する。
【0059】
質量電荷比算出部43は、飛行時間計測部が計測した飛行時間Tを、所定の変換式(キャリブレーション式)に基づいて質量電荷比m/zに変換する処理を行う。飛行時間Tを質量電荷比m/zに変換するキャリブレーション式は、例えば、次式(5)で表される。
【0060】
【数5】

【0061】
式(5)における3つの係数a,b,cは、キャリブレーション係数と呼ばれ、あらかじめ、m/z値が既知の3種類以上の物質(以下、「既知物質」という)の飛行時間を計測することで算出することができ、キャリブレーション情報54として記憶部50に記憶されている。
【0062】
マススペクトル生成部44は、スペクトル情報52を参照し、質量電荷比算出部43が算出した質量電荷比m/zと検出強度を対応づけてマススペクトル情報を生成する処理を行う。生成されたマススペクトル情報は表示部60に転送され、横軸をm/z値、縦軸を検出強度とするマススペクトルのグラフが表示部60に表示される。
【0063】
パラメーター調整部45は、調整テーブル56に基づいて、ユーザーにより指定されたm/z値に対応付けられる調整パラメーターの値を算出する処理を行う。
【0064】
調整テーブル56は、既知物質のm/z値と調整パラメーターとの対応関係を定義する。本実施形態では、遅延引き出しパラメーターが調整パラメーターに含まれ、イオン源10で所定の既知物質のイオンを発生させて得られるマススペクトルにおいて、ピーク付近の質量分解能が高くなるように調整された遅延引き出しパラメーターを当該既知物質のm/z値と対応付けて調整テーブル56が生成される。
【0065】
図5(A)及び図5(B)は、調整テーブル56の一例を示す図である。図5(A)の例では、3つの既知物質A,B,Cに対する各m/z値Ma,Mb,Mcと調整後の遅延引き出しパラメーターPa,Pb,Pcがそれぞれ対応付けられている。一方、図5(B)の例では、3つの既知物質A,B,Cに対する各m/z値Ma,Mb,Mcと調整後の遅延引き出しパラメーターの既知物質Aに対する相対値である0,ΔPb,ΔPcがそれぞれ対応付けられている。図5(B)の例の場合、既知物質A,B,Cに対する調整後の遅延引き出しパラメーターをそれぞれPa,Pb,Pcとすると、Pb=Pa+ΔPb,Pc=Pa+ΔPcで計算される。
【0066】
例えば、パラメーター調整部45は、指定されたm/z値に応じて、調整テーブル56に含まれる調整パラメーターの値を線形補間することにより、当該指定されたm/z値に対応付けられる調整パラメーターの値を算出するようにしてもよい。
【0067】
図6(A)は、このようにして算出される調整パラメーターをグラフ化した図である。図6(A)の横軸はm/z値であり、図6(A)の縦軸は調整パラメーター値である。図6(A)の例では、図5(A)又は図5(B)の調整テーブル56に従い、m/z値がそれぞれMa,Mb,Mcの3点a,b,cがプロットされている。Mb<Ma<Mcであり、指定されたm/z値MがMb<M<Maの場合は、点bと点aの間を線形補完することにより、Mに対する調整パラメーター値が算出される。また、指定されたm/z値MがMa<M<Mcの場合は、点aと点cの間を線形補完することにより、Mに対する調整パラメーター値が算出される。このようにすれば、指定されたm/z値に対する適切な調整パラメーター値を自動的に算出することができる。
【0068】
また、例えば、パラメーター調整部45は、調整テーブル56に含まれる調整パラメーターの値とm/z値との関係式を多項式で近似し、当該多項式を用いて、指定されたm/z値に対応付けられる調整パラメーターの値を算出するようにしてもよい。
【0069】
図6(B)は、このようにして算出される調整パラメーターをグラフ化した図である。図6(B)の各軸は図6(A)と同じである。図6(B)の例では、3点a,b,cから調整パラメーターをm/z値の多項式で近似し、指定されたm/z値Mを当該多項式に代入することにより、Mに対する調整パラメーター値が算出される。このようにしても、指定されたm/z値に対する適切な調整パラメーター値を自動的に算出することができる。
【0070】
また、例えば、パラメーター調整部45は、調整テーブル56に含まれる各々の調整パラメーターの値が適用されるm/zの範囲を互いに重ならないように設定し、指定されたm/z値が含まれるm/zの範囲に適用される調整パラメーターの値を、当該指定されたm/z値に対応付けられる調整パラメーターの値としてもよい。
【0071】
図6(C)は、このようにして算出される調整パラメーターをグラフ化した図である。図6(C)の各軸は図6(A)と同じである。図6(C)の例では、指定されたm/z値MがMbを含む所定範囲に含まれる場合は、Mに対する調整パラメーター値としてPbが適用される。また、指定されたm/z値MがMaを含む所定範囲に含まれる場合は、Mに対する調整パラメーター値としてPaが適用される。また、指定されたm/z値MがMcを含む所定範囲に含まれる場合は、Mに対する調整パラメーター値としてPcが適用される。このようにすれば、計算負荷を軽減しながら、指定されたm/z値に対して適切な調整パラメーター値を自動的に選択することができる。
【0072】
そして、パラメーター設定部41は、パラメーター調整部44が算出した調整パラメーターの値に基づいて、イオン源10の遅延引き出しパラメーターを再設定する処理を行い、飛行時間計測部42、質量電荷比算出部43、マススペクトル生成部44による上記の各処理により再度マススペクトルが生成される。これにより、ユーザーにより指定されたm/z値付近の質量分解能が高いマススペクトルが得られる。
【0073】
(2)未知試料の質量分析方法
図7は、本実施形態の飛行時間質量装置を用いた未知試料の質量分析方法の一例を示すフローチャート図である。
【0074】
まず、ユーザーは、測定対象となる質量範囲をカバーする複数の既知物質を測定し、マススペクトルを取得する(S10)。例えば、図8に示すように、それぞれm/z値がMa,Mb,Mcである3つの既知物質A,B,Cを測定することで、Ma,Mb,Mcに3つのピークを持つマススペクトルが得られる。このマススペクトルは、遅延引き出しパラメーターが初期設定のままで取得されたものなので、3つのピーク付近の質量分解能が高くない場合が多い。
【0075】
次に、ユーザーは、それぞれの既知物質に対して質量分解能が高くなるように遅延引き出しパラメーターを調整し、調整テーブル56を作成して記憶部50に記録する(S20)。例えば、図9(A)に示すようなMa付近の質量分解能が高いマススペクトルが得られるように遅延引き出しパラメーターを調整し、調整後の遅延引き出しパラメーターをPaとする。また、図9(B)に示すようなMb付近の質量分解能が高いマススペクトルが得られるように遅延引き出しパラメーターを調整し、調整後の遅延引き出しパラメーターをPbとする。さらに、図9(C)に示すようなMc付近の質量分解能が高いマススペクトルが得られるように遅延引き出しパラメーターを調整し、調整後の遅延引き出しパラメーターをPcとする。そして、MaとPa、MbとPb、McとPcをそれぞれ対応付けて図5(A)あるいは図5(B)に示したような調整テーブル56を作成し、記憶部50に記録する。
【0076】
次に、ユーザーは、未知試料を測定し、マススペクトルを取得する(S30)。例えば、未知試料を測定することで、図10(A)に示すような、m/z値がMの付近にピークを持つマススペクトルが得られる。このマススペクトルは、イオン源10に所定の遅延引き出しパラメーター(例えば遅延引き出しパラメーターPaなど)を設定して取得されたものであり、ピーク付近の質量分解能が高くない場合が多い。
【0077】
次に、ユーザーは、マススペクトルを確認し、調整の中心としたいm/z値を指定し、再度、マススペクトルを取得する(S40)。
【0078】
本実施形態の飛行時間質量分析装置1は、ユーザーにより指定されたm/z値から、このm/z値に対応付けられる調整パラメーターの値を算出し、イオン源10の遅延引き出しパラメーターを再設定する。さらに、飛行時間質量分析装置1は、未知試料の測定を開始し、前述した各部の処理により、再度、マススペクトルを生成する。
【0079】
例えば、ステップS30で図10(A)のようなマススペクトが取得された場合、ステップS40においてm/z値としてMを指定すれば、図10(B)に示すような、ピーク付近の質量分解能が高いマススペクトルが得られる。
【0080】
以上に説明した第1実施形態の飛行時間質量分析装置によれば、既知物質のm/z値と遅延引き出しパラメーターの値との対応関係が定義された調整テーブル56に基づいて、ユーザーにより指定されたm/z値に対応付けられる調整パラメーターの値が算出され、遅延引き出しパラメーターが再設定され、再度マススペクトルが生成される。例えば、ユーザーが調整の中心としたいm/z値を指定すれば、これに応じた適切な遅延引き出しパラメーターが自動的に算出されるので、ユーザーが遅延引き出しパラメーターを自ら調整する必要がない。従って、第1実施形態の飛行時間質量分析装置によれば、ユーザーの手間を軽減しながら、指定されたm/z値に応じた質の良いマススペクトルを得ることができる。
【0081】
2.第2実施形態
一般的に、イオンのm/z値が大きいほど、イオン化効率、イオン透過率、検出感度が悪化する。そこで、第2実施形態の飛行時間質量分析装置では、イオンのm/z値によらず均一な質のスペクトルを取得するために、調整テーブル56の調整パラメーターとして検出器30の電圧やイオン源10のレーザー強度を追加する。
【0082】
第2実施形態の飛行時間質量分析装置の構成は図1と同様であり、以下では、第1実施形態との相違点についてのみ説明する。
【0083】
図11(A)及び図11(B)は、第2実施形態における調整テーブル56の一例を示す図である。図11(A)の例では、図5(A)の調整テーブル56に、m/z値Ma,Mb,Mcとそれぞれ対応づけて検出器30に設定する電圧値Va,Vb,Vcが追加されている。一方、図11(B)の例では、図5(B)の調整テーブル56に、m/z値Ma,Mb,Mcとそれぞれ対応づけて検出器30に設定する電圧値の既知物質Aに対する相対値である0,ΔVb,ΔVcが追加されている。図11(B)の例の場合、既知物質A,B,Cに対してそれぞれ検出器30に設定する電圧値をVa,Vb,Vcとすると、Vb=Va+ΔVb,Vc=Va+ΔVcで計算される。
【0084】
パラメーター調整部45は、調整テーブル56に基づいて、指定されたm/z値に対応付けられる調整パラメーター(遅延引き出しパラメーター、検出器電圧、レーザー強度など)の値を算出する。
【0085】
また、パラメーター設定部41は、パラメーター調整部45が算出した調整パラメーター値に基づいて、イオン源10に遅延引き出しパラメーターやレーザー強度を再設定し、検出器30に電圧を再設定する。
【0086】
そして、未知試料の測定が開始され、前述した各部の処理により、再度、マススペクトルが生成される。
【0087】
このように、第2実施形態の飛行時間質量分析装置によれば、調整パラメーターにレーザーの強度や検出器30の電圧値を含め、指定されたm/z値に応じてレーザーの強度や検出器30の電圧を適切に調整することで、m/z値によらず均一な質のスペクトルを取得することができる。
【0088】
3.第3実施形態
調整パラメーターを再設定してイオン源10などの装置条件を変更すると、イオンの飛行時間が変化するため、マススペクトルにおいて観測されるm/z値がわずかに変化して真の値からずれる。そのため、それに合わせてキャリブレーションも変更する必要がある。そこで、第3実施形態の飛行時間質量分析装置では、このm/z値のずれを補正するようなm/z補正量を、あらかじめ調整テーブル56の調整パラメーターに含めておく。
【0089】
第3実施形態の飛行時間質量分析装置の構成は図1と同様であり、以下では、第1実施形態との相違点についてのみ説明する。
【0090】
調整テーブル56を作成するためには、例えば、まず、既知物質Aのm/z値Ma付近の質量分解能が高くなるように調整した遅延引き出しパラメーターPaをイオン源10に設定し、既知物質A,B,Cを測定する。これにより得られる既知物質A,B,Cの各飛行時間Ta,Tb,Tcとm/z値Ma,Mb,Mcの関係からキャリブレーション式(5)の係数a,b,cを決定する。
【0091】
次に既知物質Bに対するピーク付近の質量分解能が高くなるように調整したマススペクトルにおいて当該ピークのm/z値のMbからのずれ(m/z補正量)ΔMbを調整テーブル56に追加する。
【0092】
同様に、既知物質Cに対するピーク付近の質量分解能が高くなるように調整したマススペクトルにおいて当該ピークのm/z値のMcからのずれ(m/z補正量)ΔMcを調整テーブル56に追加する。
【0093】
図12は、第3実施形態における調整テーブル56の一例を示す図である。図12の例では、図11(B)の調整テーブル56に、m/z値Ma,Mb,Mcとそれぞれに対応づけてm/z値の補正量0,ΔMb,ΔMcが追加されている。
【0094】
未知試料を測定する際は、まず、イオン源10に、遅延引き出しパラメーターPaを設定してマススペクトルを取得する。これにより、図10(A)に示したような、未知試料のm/z値であるM付近にピークを持つマススペクトルが取得される。このマススペクトルは、イオン源10に遅延引き出しパラメーターPaを設定して取得されたものであり、ピーク付近の質量分解能が高くない場合が多い。
【0095】
ユーザーがこのマススペクトルを確認し、調整の中心としたいm/z値としてMを指定すると、パラメーター調整部45により遅延引き出しパラメーターが調整され、パラメーター設定部41によりこの調整された遅延引き出しパラメーターがイオン源に再設定され、飛行時間計測部42により未知試料の飛行時間が再度計測される。この飛行時間をTとしてキャリブレーション式(5)に代入すると、次式(6)に示すように、未知試料の真のm/z値であるMからΔMだけずれたM+ΔMに変換される。
【0096】
【数6】

【0097】
そこで、本実施形態では、飛行時間Tがm/z値Mに変換されるように、質量電荷比算出部43により、キャリブレーション式(5)のいずれかの係数が変更される。例えば、キャリブレーション係数bをb’に変更することで新たなキャリブレーション式として次式(7)が得られる。
【0098】
【数7】

【0099】
式(6)と式(7)より、次式(8)が導かれる。
【0100】
【数8】

【0101】
式(8)において、bとTは既知であり、Mもユーザーが指定するm/z値であるので既知である。従って、m/z補正量ΔMを算出すれば、式(8)より、b’を算出することができる。
【0102】
本実施形態では、質量電荷比算出部43は、調整テーブル56を参照し、m/z値Ma,Mb,Mcに対するm/z補正量0,ΔMb,ΔMcからMに対するm/z補正量ΔMを算出する。
【0103】
つまり、調整テーブル56から、遅延引き出しパラメーターPaを設定して取得されたマススペクトルにおいて、既知物質Aに対するピークのm/z値(=Ma)が指定された場合のm/z補正量が0、既知物質Bに対するピークのm/z値(=Mb)が指定された場合のm/z補正量がΔMb、既知物質Cに対するピークのm/z値(=Mc)が指定された場合のm/z補正量がΔMcであるから、未知物質に対するピークのm/z値(=M)が指定された場合のm/z補正量ΔMを推測して算出することができる。
【0104】
例えば、質量電荷比算出部43は、ユーザーにより調整の中心として指定されたm/z値に応じて、調整テーブル56に含まれるm/z補正量の値を線形補間することにより、当該指定されたm/z値に対応付けられるm/z補正量の値を算出するようにしてもよい。
【0105】
図13(A)は、このようにして算出されるm/z補正量をグラフ化した図である。図13(A)の横軸は調整の中心として指定されるm/z値であり、図13(A)の縦軸はm/z補正量である。図13(A)の例では、図12の調整テーブル56に従い、m/z値がMaでm/z補正量が0の点a、m/z値がMbでm/z補正量がΔMbの点b、m/z値がMcでm/z補正量がΔMcの点cの3点がプロットされている。Mb<Ma<Mcであり、指定されたm/z値MがMb<M<Maの場合は、点bと点aの間を線形補完することにより、m/z補正量ΔMが算出される。また、指定されたm/z値MがMa<M<Mcの場合は、点aと点cの間を線形補完することにより、m/z補正量ΔMが算出される。このようにすれば、指定されたm/z値に対する適切なm/z補正量を自動的に算出することができる。
【0106】
また、例えば、質量電荷比算出部43は、調整テーブル56に含まれるm/z補正量の値とm/z値との関係式を多項式で近似し、当該多項式を用いて、ユーザーにより指定されたm/z値に対応付けられるm/z補正量の値を算出するようにしてもよい。
【0107】
図13(B)は、このようにして算出されるm/z補正量をグラフ化した図である。図13(B)の各軸は図13(A)と同じである。図13(B)の例では、3点a,b,cからm/z補正量をm/z値の多項式で近似し、指定されたm/z値Mを当該多項式に代入することにより、m/z補正量ΔMが算出される。このようにしても、指定されたm/z値に対する適切なm/z補正量を自動的に算出することができる。
【0108】
また、例えば、質量電荷比算出部43は、調整テーブル56に含まれる各々のm/z補正量の値が適用されるm/zの範囲を互いに重ならないように設定し、ユーザーにより指定されたm/z値が含まれるm/zの範囲に適用されるm/z補正量の値を、当該指定されたm/z値に対応付けられるm/z補正量の値としてもよい。
【0109】
図13(C)は、このようにして算出されるm/z補正量をグラフ化した図である。図13(C)の各軸は図13(A)と同じである。図13(C)の例では、指定されたm/z値MがMbを含む所定範囲に含まれる場合は、m/z補正量ΔMとしてΔMbが適用される。また、指定されたm/z値MがMaを含む所定範囲に含まれる場合は、m/z補正量ΔMとして0が適用される。また、指定されたm/z値MがMcを含む所定範囲に含まれる場合は、m/z補正量ΔMとしてΔMcが適用される。このようにすれば、計算負荷を軽減しながら、指定されたm/z値に対する適切なm/z補正量を自動的に選択することができる。
【0110】
そして、m/z補正量ΔMを用いて式(8)より新たな係数b’を算出し、新たなキャリブレーション式(7)を用いることで、図10(B)に示したような、未知試料の真のm/z値であるM付近の質量分解能が高いマススペクトルが得られる。
【0111】
このように、第3実施形態の飛行時間質量分析装置によれば、調整テーブル56に調整パラメーターとして既知物質に対するm/z補正量を含め、このm/z補正量に基づいて、指定されたm/z値に応じてキャリブレーション係数を変更することで、真のm/z値に修正することができる。
【0112】
特に、スポットごとに観測される質量が大幅に異なる場合に、それぞれのスポットから取得されるマススペクトルの質を向上させることができる。例えば、サンプルプレートに、前述液体クロマトグラフィーの一種であるサイズ排除クロマトグラフィーからの溶出物を複数のスポットに分けて測定する場合に有効である。サイズ排除クロマトグラフィーからは、一般的に分子量が大きい順で溶出するので、分注されたスポット内はある程度の分子量範囲に収まるが、スポット間の分子量分布は広い。そのため、スポット間で遅延引き出しパラメーター等の調整パラメーターの変更が必要となる。
【0113】
4.第4実施形態
第1実施形態〜第3実施形態の飛行時間質量分析装置は、一度マススペクトルを生成し、ユーザーがこのマススペクトルを確認して調整の中心としたいm/z値を指定した後、再度、マススペクトルを生成している。これに対して、第4実施形態の飛行時間質量分析装置は、あらかじめ調整の中心としたいm/z値を指定しておき、一度だけマススペクトルを生成する。
【0114】
第4実施形態の飛行時間質量分析装置の構成は図1と同様であり、以下では、第1実施形態との相違点についてのみ説明する。
【0115】
図14は、第4実施形態の飛行時間質量装置を用いた未知試料の質量分析方法の一例を示すフローチャート図である。
【0116】
まず、ユーザーは、測定対象のスポット毎に、調整の中心としたいm/z値をあらかじめ指定する(S110)。パラメーター調整部45は、測定対象の各スポットと指定されたm/z値を対応付けて記憶部50に記憶する。
【0117】
次に、測定対象の1つのスポットを選択し、選択したスポットに対して、未知試料を測定し、マススペクトルを取得する(S120)。パラメーター調整部45は、記憶部50を参照し、ステップS110でこのスポットに対応付けて記憶したm/z値を指定して調整パラメーターを算出する。そして、パラメーター設定部41は、パラメーター調整部45により算出された調整パラメーターを設定し、未知試料の測定が開始される。この1回の測定により、測定対象のスポットに対してあらかじめ指定されたm/z値の質量分解能が高いマススペクトルが得られる。
【0118】
未測定の測定対象スポットがまだあれば(S130のY)、新たな測定対象スポットを1つ選択し、ステップS120の処理を行い、未測定の測定対象スポットが無くなれば(S130のN)、処理を終了する。
【0119】
なお、測定対象のすべてのスポットに対する測定を自動で行ってもよいし、ユーザーの指示を待ってスポット毎に測定を行ってもよい。
【0120】
このように、第4実施形態の飛行時間質量分析装置によれば、測定対象となるスポット毎に調整の中心となるm/z値をあらかじめ指定しておくことで、未知試料の測定結果に応じてユーザーが調整の中心となるm/z値を指定して再度測定し直す必要がなくなる。従って、複数のスポットに対して連続した自動測定が可能となるとともに、各スポットに対して1回の測定で済む。例えば、スポット毎に測定対象のマスレンジを推測することができるような場合は、あらかじめスポット毎に調整の中心としたいm/z値を指定しておくことで、自動測定が可能である。
【0121】
例えば、イオン源10のサンプルプレートに、液体クロマトグラフィーの一種であるサイズ排除クロマトグラフィーからの溶出物を複数のスポットに分注し、スポット毎に測定するような場合、サイズ排除クロマトグラフィーからは、一般的に分子量が大きい順で溶出するので、スポット毎に測定対象のマスレンジを推測することができる。このような場合、あらかじめスポット毎に調整の中心としたいm/z値を指定しておくことが可能である。
【0122】
5.第5実施形態
第5実施形態の飛行時間質量装置は、測定対象のすべてのスポットに対して全自動で質量分析処理を行う。
【0123】
第5実施形態の飛行時間質量分析装置の構成は図1と同様であり、以下では、第1実施形態との相違点についてのみ説明する。
【0124】
図15は、第5実施形態の飛行時間質量装置における処理部40による処理の一例を示すフローチャート図である。
【0125】
まず、処理部40は、測定対象の1つのスポットを選択し、選択したスポットに対して、未知試料を測定する(S210)。
【0126】
次に、処理部40は、ステップS210で観測される最も強い強度のm/z値を算出し、記憶部50に記憶する(S220)。具体的には、パラメーター調整部45が、検出器30の検出信号に基づいて、最も強い強度に対応するm/z値を算出する。
【0127】
未測定の測定対象スポットがまだあれば(S230のY)、処理部40は、新たな測定対象スポットを1つ選択し、ステップS210とS220の処理を行う。
【0128】
未測定の測定対象スポットが無くなれば(S130のN)、処理部40は、測定対象の1つのスポットを選択し、選択したスポットに対応付けてステップS220で記憶したm/z値を指定し、調整パラメーターを算出する(S240)。
【0129】
次に、処理部40は、ステップS240で算出した調整パラメーターをイオン源10や検出器30に再設定し、選択したスポットに対して未知試料を測定し、マススペクトルを生成する(S250)。
【0130】
未測定の測定対象スポットがまだあれば(S260のY)、未測定の測定対象スポットが無くなるまで(S260のN)、処理部40は、新たな測定対象スポットを1つ選択し、ステップS240とS250の処理を行う。
【0131】
このように、第5実施形態の飛行時間質量装置によれば、測定対象となるスポット毎に1回目の測定を行い、最も強い強度に対応するm/z値が調整の中心となるような調整パラメーターを算出し、2回目の測定を行うことで、スポット毎に測定対象のマスレンジを推測できないような場合でも複数のスポットに対して連続した自動測定が可能となる。
【0132】
なお、本発明は本実施形態に限定されず、本発明の要旨の範囲内で種々の変形実施が可能である。
【0133】
本発明は、実施の形態で説明した構成と実質的に同一の構成(例えば、機能、方法及び結果が同一の構成、あるいは目的及び効果が同一の構成)を含む。また、本発明は、実施の形態で説明した構成の本質的でない部分を置き換えた構成を含む。また、本発明は、実施の形態で説明した構成と同一の作用効果を奏する構成又は同一の目的を達成することができる構成を含む。また、本発明は、実施の形態で説明した構成に公知技術を付加した構成を含む。
【符号の説明】
【0134】
1 飛行時間質量分析装置、2 サンプル、10 イオン源、11 サンプルプレート、12 加速電極、13 加速電極、14 レンズ、15 ミラー、16 ミラー、17 レンズ、18 CCDカメラ、20 分析部、30 検出器、40 処理部、41 パラメーター設定部、42 飛行時間計測部、43 質量電荷比算出部、44 マススペクトル生成部、45 マスパラメーター調整部、50 記憶部、52 スペクトル情報、54 キャリブレーション情報、56 調整テーブル、60 表示部、70 操作部

【特許請求の範囲】
【請求項1】
レーザー照射によりサンプルをイオン化し、発生したイオンを遅延引き出し法により加速するイオン源と、
前記イオン源から飛行して到達したイオンを検出する検出器と、
既知物質の質量電荷比の値と、前記イオン源の前記遅延引き出し法に関連する遅延引き出しパラメーターを含む所与の調整パラメーターの値との対応関係を定義する調整テーブルを記憶する記憶部と、
前記調整テーブルに基づいて、指定された質量電荷比の値に対応付けられる前記調整パラメーターの値を算出するパラメーター調整部と、
前記パラメーター調整部が算出した前記調整パラメーターの値に基づいて、前記イオン源の前記遅延引き出しパラメーターを設定するパラメーター設定部と、
前記遅延引き出しパラメーターが設定された前記イオン源で発生したイオンが前記検出器に到達するまでの飛行時間を計測する飛行時間計測部と、を含む、飛行時間質量分析装置。
【請求項2】
請求項1において、
前記遅延引き出しパラメーターは、
前記イオン源のサンプルプレートに印加するサンプルプレート電圧と前記イオン源の加速電極に印加するパルス電圧との比を特定可能なパラメーター及び前記パルス電圧の発生タイミングを特定可能なパラメーターの少なくとも一方を含む、飛行時間質量分析装置。
【請求項3】
請求項1又は2において、
前記パラメーター調整部は、
前記指定された質量電荷比の値に応じて、前記調整テーブルに含まれる前記調整パラメーターの値を線形補間することにより、前記指定された質量電荷比の値に対応付けられる前記調整パラメーターの値を算出する、飛行時間質量分析装置。
【請求項4】
請求項1又は2において、
前記パラメーター調整部は、
前記調整テーブルに含まれる前記調整パラメーターの値と前記質量電荷比の値との関係式を多項式で近似し、当該多項式を用いて前記指定された質量電荷比の値に対応付けられる前記調整パラメーターの値を算出する、飛行時間質量分析装置。
【請求項5】
請求項1又は2において、
前記パラメーター調整部は、
前記調整テーブルに含まれる各々の前記調整パラメーターの値が適用される質量電荷比の範囲を互いに重ならないように設定し、前記指定された質量電荷比の値が含まれる前記質量電荷比の範囲に適用される前記調整パラメーターの値を、前記指定された質量電荷比の値に対応付けられる前記調整パラメーターの値とする、飛行時間質量分析装置。
【請求項6】
請求項1乃至5のいずれかにおいて、
前記調整パラメーターは、
前記イオン源に照射するレーザーの強度及び前記検出器の電圧の少なくとも一方を含み、
前記パラメーター設定部は、
前記パラメーター調整部が算出した前記調整パラメーターの値に基づいて、前記レーザーの強度及び前記検出器の電圧の少なくとも一方を設定する、飛行時間質量分析装置。
【請求項7】
請求項1乃至6のいずれかにおいて、
前記飛行時間計測部が計測した飛行時間を、所定の変換式に基づいて質量電荷比に変換する質量電荷比算出部をさらに含み、
前記調整テーブルは、
前記調整パラメーターとして、前記既知物質の各々について、当該調整テーブルに含まれる当該既知物質の前記遅延引き出しパラメーターの値を前記イオン源に設定して計測される飛行時間から前記変換式に基づいて変換した質量電荷比の値を前記調整テーブルに含まれる当該既知物質の質量電荷比の値に補正するための補正量を含み、
前記質量電荷比算出部は、
前記調整テーブルに含まれる前記補正量に基づいて前記変換式の係数を変更する、飛行時間質量分析装置。
【請求項8】
請求項1乃至7のいずれかにおいて、
前記パラメーター調整部は、
前記イオン源のサンプルプレート上に配置された測定対象となるスポット毎に、あらかじめ指定された質量電荷比の値に対応付けられる前記調整パラメーターの値を算出し、
前記パラメーター設定部は、
前記イオン源の測定対象となるとなるスポット毎に、前記パラメーター調整部が算出した前記調整パラメーターの値に基づいて、前記遅延引き出しパラメーターを設定する、飛行時間質量分析装置。
【請求項9】
請求項1乃至8のいずれかにおいて、
前記パラメーター調整部は、
前記検出器の検出信号に基づいて、最も強い強度に対応する質量電荷比の値を算出し、算出した当該質量電荷比の値を指定して前記調整パラメーターの値を算出する、飛行時間質量分析装置。
【請求項10】
請求項1乃至9のいずれかにおいて、
前記イオン源は、
MALDI法によりサンプルをイオン化する、飛行時間質量分析装置。
【請求項11】
既知物質の質量電荷比の値と、レーザー照射によりサンプルをイオン化し、発生したイオンを遅延引き出し法により加速するイオン源の当該遅延引き出し法に関連する遅延引き出しパラメーターを含む所与の調整パラメーターの値との対応関係を定義する調整テーブルに基づいて、指定された質量電荷比の値に対応付けられる前記調整パラメーターの値を算出するパラメーター調整ステップと、
前記パラメーター調整ステップで算出した前記調整パラメーターの値に基づいて、前記イオン源の前記遅延引き出しパラメーターを設定するパラメーター設定ステップと、
前記遅延引き出しパラメーターが設定された前記イオン源で発生したイオンが前記検出器に到達するまでの飛行時間を計測する飛行時間計測ステップと、を含む、飛行時間質量分析方法。

【図1】
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【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図5】
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【図6】
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【図7】
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【図8】
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【図9】
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【図10】
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【図11】
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【図12】
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【図13】
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【図14】
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【図15】
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【図16】
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【公開番号】特開2012−243667(P2012−243667A)
【公開日】平成24年12月10日(2012.12.10)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2011−114774(P2011−114774)
【出願日】平成23年5月23日(2011.5.23)
【出願人】(000004271)日本電子株式会社 (811)
【Fターム(参考)】