説明

麦芽の製造方法

【課題】適切な散水時期を判断するための数値的指標を見出す事により、LOX活性の低い麦芽を安定的に製造する方法の開発を本研究の目的とした。
【解決手段】
本発明は、麦芽アルコール飲料に使用する麦芽の製造方法において、発芽大麦の根の長さ(以下「根長」と記載する)を指標として浸麦又は発芽工程時の水分供給時期を管理し、根長が短い時に水分供給を実施する事を特徴とする麦芽の製造方法を提供する。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、麦芽アルコール飲料の香味安定性を向上させる麦芽の製造方法に関する。
【背景技術】
【0002】
ビールを一定期間保存すると、ブランドによって程度の差はあるものの、劣化した特有の香味が感じられる。劣化ビールの特徴的な香味の一つにカードボード臭があり、その指標成分はトランス−2−ノネナール(T2N)であることが知られている。長年ビール研究者及び技術者は、ビール保存時のT2N生成量が低い香味安定性に優れたビールを製造するため、仕込み工程を中心とした醸造工程の研究を行い、その成果が現業のビール工場において実用化されてきた。
【0003】
一方、ビール醸造の主原料である麦芽とビール香味安定性に関する研究内容として、脂質の酸化反応に関与するリポキシゲナーゼ(LOX)に関する研究が報告されてきた(非特許文献1参照)。製麦工程又はビール醸造の主に仕込工程において、LOXの酵素反応によって脂質は脂質ヒドロペルオキシドに、又は脂肪酸は脂肪酸ヒドロペルオキシドとなり、それら過酸化物がT2Nの前駆体物質であり、更に泡持ちをも悪化させる物質であるといわれている(非特許文献2参照)。つまり、麦芽アルコール飲料の香味安定性及び泡品質を向上させる上で、麦芽及び製麦工程中のLOX活性は、重要な一要因であると考えられている。
【0004】
過去において、麦芽を製造する製麦工程におけるT2N低減方法については、焙燥後期温度上昇(非特許文献3参照)、及び焙燥初期の温度、湿度制御(非特許文献4参照)が報告されている。いずれも、LOX活性を低減させる事により、その麦芽を使用して製造したビール中のT2N量の低減を認めている。一方、焙燥工程の上流工程である浸麦及び発芽工程が発芽大麦(麦芽)のLOX生成に及ぼす影響については、浸麦時の溶存酸素濃度や浸麦プログラム等の影響が報告されている(非特許文献1参照)。
【0005】
製麦本来の目的の一つは、糖化酵素等に代表されるビール醸造に必要な各種酵素を生成し、更にその酵素の働きで大麦の胚乳細胞壁やタンパクマトリックスを分解させ、粉砕しやすく、エキスが溶けやすい状態にする事である。この目的を達する為には、浸麦工程において十分な水分を吸収させる事が、その後の発芽工程において必要十分量の酵素を生成させるために重要である。
【0006】
従って必要な水分供給は浸麦工程で完了させる事が基本であるが、大麦の品種、収穫年、産地等によって大麦穀粒への吸水速度や必要な水分量は異なり、その都度浸麦時間を変更、特に延長を要する場合は、工程管理上の負担となる事がある。そこで、浸麦時間を延長する替わりに、発芽工程においてスプレーによる散水を実施する事により不足水分を供給する方法が行われる事が多い。この方法は工程時間を変えずに水分供給を調整できる点で工程管理上のメリットがある。
【0007】
しかし、発明者らの研究によって、この発芽工程のスプレーによる散水はLOX生成を誘発するという現象を見出した。そして、浸麦時間延長により必要水分の供給を完了させる方が、LOX生成を抑制し、また、ビール醸造に必要な各種酵素力にも悪影響を与えない事が明らかとなった(非特許文献5参照)。
【非特許文献1】イー.ディー.バクスター(E.D.Baxter)、「リポキシダーゼ・イン・モルティング・アンド・マッシング(Lipoxydases in malting and mashing)」ジャーナル・オブ・ジ・インスティテュート・オブ・ブリューイング(Journal ofthe Institute of Brewing)1982年、第88巻、p390−396
【非特許文献2】コバヤシ(N. Kobayashi)他4名、「リピッドオキシデイション・デュアリング・ウォート・プロダクション(Lipid oxidation during wort production)」プロシーディング・オブ・ジ・ヨーロピアン・ブルワリー・コングレス(Proceedingof the European Brewery Congress)、1993年、p405−420
【非特許文献3】ビー.ダブリュー.ドロスト(B.W.Drost)、他5名、「フレイバースタビリティー(Flavor Stability)」、ジャーナル・オブ・ジ・アメリカン・ソサイエティ・オブ・ブリューイング・ケミスツ(Journal of the American Society of Brewing Chemists)、1990年、第48巻、第4号、p.124−131
【非特許文献4】上田、他4名、「製麦工程におけるトランス−2−ノネナールの低減」、日本食品工学会 第50回大会講演集 2003年、p412Ka8
【非特許文献5】佐々木、他6名「製麦工程におけるビール鮮度(香味安定性)向上」、日本農芸化学会 大会講演要旨集2004年 p63 2A17a02
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
浸麦工程から発芽工程の散水によって水分供給を行う製麦方法と、浸麦時間延長により必要水分の供給を完了させる製麦方法とを比較した場合、前述のように前者は工程管理面において有利であるが、LOX活性は高くなるという短所がある。一方、後者はその逆の特徴を有する。そこで、発明者らは浸麦延長せずに、発芽開始後早期に散水を実施すれば、工程時間変更という負担をかけることなく、浸麦時間延長と同様のLOX生成抑制効果が得られると考えた。これまで、発芽工程中の散水時期が麦芽品質に及ぼす影響を調査した報告はなく、現業において散水時期は製麦会社、工場によって異なり、発芽工程の序盤から中盤に渡って複数回実施する工場や、発芽序盤で終了させる工場など様々である。後述するが試験の結果、早期散水は浸麦延長と同様のLOX生成抑制効果が認められた。
【0009】
しかし、発芽工程開始後の「早期」とはどの程度の発芽状態を指すのかについて、明確な定義はない。浸麦工程と発芽工程の境界は工程上の境にすぎず、植物生理学上の発芽は浸麦時から進行している。従って製麦会社、工場によって浸麦又は発芽工程時間は様々に異なっており、また大麦品種や収穫年度、産地によっても大麦の生育速度が異なる場合がある事から、発芽工程開始後の「早期」を時間で管理するのは不適当であると考えた。そこで、麦の分析又は観察結果をもとに大麦の発芽状態をとらえ、散水時期を判断する方法が妥当と考え、そのような数値的指標を見出す事により、LOX活性の低い麦芽を安定的に製造する方法の開発を目的とした。
【課題を解決するための手段】
【0010】
本発明の第一は、麦芽アルコール飲料に使用する麦芽の製造方法において、発芽大麦の根の長さ(以下「根長」と記載する)を指標として工程管理する事を特徴とする麦芽の製造方法である。
本発明の第二は、第一の発明において、根長を指標として浸麦又は発芽工程時の水分供給時期を管理し、根長が短い時までに、水分供給を実施する事を特徴とする麦芽の製造方法である。
本発明の第三は、第一の発明において、根長が3mm以下、望ましくは1mm以下の時までに水分供給を実施する事を特徴とする麦芽の製造方法である。
本発明の第四は、麦芽アルコール飲料に使用する麦芽の製造方法において、発芽工程の早期までに水分供給を実施することを特徴とするLOX活性の低い麦芽の製造方法である。
本発明の第五は、第四の発明において、発芽大麦の根長を指標として浸麦又は発芽工程時の水分供給時期を管理し、根長が短い時までに、水分供給を実施する事を特徴とするLOX活性の低い麦芽の製造方法である。
本発明の第六は、第四の発明において、根長が3mm以下、望ましくは1mm以下の時までに水分供給を実施する事を特徴とするLOX活性の低い麦芽の製造方法である。
【発明の効果】
【0011】
本発明により、浸麦時間を延長することなくリポキシゲナーゼ(LOX)活性の低い麦芽を安定的に製造することが可能となった。この麦芽を使用することにより香味安定性の高い麦芽アルコール飲料を製造することができる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0012】
次に本発明について詳細に説明する。本発明は製麦工程の浸麦〜発芽工程において早期に水分供給する事によりLOX活性の低い麦芽を製造する方法であって、水分供給時期を判断する際に根長を指標にすることを特徴とする。
【0013】
浸麦方法は一般的な方法で実施された特別な制限はない。一般的には水に浸漬した後に浸麦タンク内の温度を14〜20℃程度、1〜2日程度の時間をかけて、穀粒水分が35〜48%程度になるように実施する。水に浸漬している間、エアレーションにより溶存酸素濃度を増加させたり、浸麦工程途中の数時間に空気中にさらし、更に麦層中の空気排出により二酸化炭素濃度を低減したりする事によって、麦の酸素欠乏状態を防ぐことが一般的に行われる。浸麦終了時の適正な穀粒水分は目的とする麦芽品質、若しくは大麦の品種、収穫年度、又は産地等によって異なる。
【0014】
発芽方法は散水時期を除いては一般的な方法で実施され、特別な制限はない。一般的には高湿度の雰囲気下で温度が10〜25℃程度の範囲内において4〜6日間程度発芽させる。実際の温度や日数条件は目的の麦芽品質、若しくは大麦の品種、収穫年度、又は産地等、あるいは製麦設備等によって異なる。散水は一般にはスプレーを利用して麦全体に均一に水分が行き渡るように実施する。散水の水量は1回につき大麦1トン当り10〜100リットル程度であり、必要に応じて複数回行われる場合がある。
【0015】
焙燥方法は一般的な方法で実施され、特別な制限はない。一般的には熱風乾燥により水分が3〜5%程度になるまで乾燥させる。
【0016】
LOX活性の低い麦芽を製造する為に、浸麦工程から発芽工程における水分供給を早期に実施する。その方法の一つは浸麦工程時間を延長することである。他の方法として発芽工程の早期に散水を実施する事により、浸麦工程時間延長という負担をかけることなく、同様のLOX生成抑制効果が得られる。
【0017】
更に、早期に散水を実施するに当り、「早期」の時期について発芽大麦の根長を指標に判断できる。根長は穀粒20粒の根の長さの平均値とし、一穀粒に根が複数認められる場合は、最も長い根の長さを測定する。根長が3mm以下、望ましくは根長が1mm以下の時までに必要な水分供給を実施する事が、より効果的である。
【0018】
発芽工程中に複数回散水を実施する必要がある場合も、同様に根長を指標に早期散水を実施する。
【0019】
以上のように、根長を指標として根長が短い時期までに水分供給する事により、LOX生成を抑制する製麦方法を安定的に実施可能となる。特に根長を指標に発芽工程初期に散水を実施すれば、浸麦工程延長という工程管理面の負担をかけることなく、LOX生成抑制効果が得られる。根長を指標に製麦を管理する方法はこれまで報告されていないが、極めて簡便に測定可能な指標である為、現業における工程管理面において有用である。
次に実施例を示して本発明を詳細に説明するが、本発明は以下の実施例に限定されるものではない。
【実施例1】
【0020】
発芽中に散水するよりも、浸麦時間を延長した方が発芽中のLOX生成を抑制するという現象の再現性を確認し、更に発芽開始後早期に散水する方法が浸麦延長と同様の効果をもたらす例を示す。
【0021】
(1)試験方法
製麦試験装置はカスタムラボラトリー社製の小製麦試験装置を使用した。試験水準を3水準設定し、それぞれ1.浸麦延長、2.発芽中散水、3.早期散水とした。試験水準の概要を以下の表1にまとめる。
【0022】
【表1】

【0023】
2の発芽中散水及び3の早期散水において発芽中に実施する散水回数は1回で、散水量は発芽大麦100gあたり1.5mlとした。浸麦、発芽温度はいずれも17℃で、発芽期間は4日間で終了し、1日間ごとに発芽大麦中のLOX活性を測定した。発芽終了時の穀粒水分はいずれの水準も約45.5%であった。
【0024】
(2)試験結果
発芽中のLOX活性推移のグラフを図1に示す。3の早期散水は1の浸麦延長と同様にLOX生成の抑制効果が認められた。
【実施例2】
【0025】
発芽開始後早期に散水を実施することについて、根長が数値的指標となる例を示す。発芽開始後散水時期を変更して、発芽終了時のLOX活性への影響を確認する一方で、散水時の発芽大麦の状態を調査した。
【0026】
(1)試験方法
実施例1と大麦品種は異なるものを使用した。浸麦終了時の穀粒水分が約42%の大麦を用いて17℃で発芽を行った。発芽中に実施する散水回数は1回で、散水量は発芽大麦100gあたり4mlとし、散水時期は発芽工程開始後6.5時間、14時間、23.5時間の3水準の試験を設定し、各水準ごとに2点並行で試験を実施した。発芽は4日間で終了し、1日間ごとに発芽大麦中のLOX活性を測定した。発芽終了時の穀粒水分はいずれの水準も約45%であった。
【0027】
(試験結果)
発芽中のLOX活性推移のグラフを図2に示す。早期に散水を実施した方がLOX活性の増加を抑制する傾向を確認した。
【0028】
一方、散水時の発芽大麦の状態変化について観察したところ、特徴的な変化として発根状態の違いが見いだされた。そこで、散水時の発根状態を数値的に評価する為に穀粒20粒の平均根長を測定する事とした。本明細書及び特許請求の範囲において、根長とは穀粒20粒の根の長さの平均値のこととし、一穀粒に根が複数認められる場合は最も長い根の長さを測定する。表2に各試験水準の散水時(発芽開始後時間)の根長を示す。
【0029】
【表2】

【0030】
以上の結果について、横軸を「散水時の根長」、縦軸を「発芽終了時のLOX活性」としてプロットしたグラフを図3に示す。散水時の根長と発芽終了時の間には正の関係性が認められ、根長を指標に散水時期を決定する事によってLOX生成を抑制できる可能性が示唆された。
【実施例3】
【0031】
更に、根長が約1〜5mmの間において散水時期の水準を細かく設定し、LOX生成への影響を詳細に調査した例を示す。
【0032】
(1)試験方法
実施例1,2とは異なる大麦品種を用いて実施例2と同様の試験を実施した。浸麦終了時の穀粒水分が約43%の大麦を用いて15℃で発芽を行った。発芽中の散水量は発芽大麦100gあたり4mlとし、散水時期は1回で根長が0.9mm、1.9mm、2.7mm、3.5mm、4.6mmの時期に実施した5水準を設けた。発芽は4日間で終了し、1日間ごとに発芽大麦中のLOX活性を測定した。発芽終了時の穀粒水分はいずれの水準も約45%であった。
【0033】
(2)試験結果
実施例2の結果について、横軸を「散水時の根長」、縦軸を「発芽終了時のLOX活性」としてプロットしたグラフを図4に示す。実施例2の場合と同様、散水時の根長と発芽終了時の間に正の相関が認められた。
【実施例4】
【0034】
大麦60トンを浸麦して、浸麦終了後の穀粒水分は41%であった。十分な水分を供給する為には、散水を2回実施する必要があると判断した。そこで根長が1mmの時点で1回、更に根長が3mmの時点で1回散水を実施した。散水量は大麦1トン当り20リットルとした。
【産業上の利用可能性】
【0035】
本発明は、香味安定性の優れた麦芽アルコール飲料の製造に使用する麦芽の製造方法に利用される。
【図面の簡単な説明】
【0036】
【図1】実施例1における発芽中のLOX活性推移のグラフである。
【図2】実施例2における発芽工程中のLOX活性推移のグラフである。
【図3】実施例2における散水時の根長と発芽終了時のLOX活性の関係を示したグラフである。
【図4】実施例3における散水時の根長と発芽終了時のLOX活性の関係を示したグラフである。

【特許請求の範囲】
【請求項1】
麦芽アルコール飲料に使用する麦芽の製造方法において、発芽大麦の根の長さ(以下「根長」と記載する)を指標として工程管理する事を特徴とする麦芽の製造方法。
【請求項2】
根長を指標として浸麦又は発芽工程時の水分供給時期を管理し、根長が短い時までに、水分供給を実施する事を特徴とする請求項1に記載の麦芽の製造方法。
【請求項3】
根長が3mm以下、望ましくは1mm以下の時までに水分供給を実施する事を特徴とする請求項1に記載の麦芽の製造方法。
【請求項4】
麦芽アルコール飲料に使用する麦芽の製造方法において、発芽工程の早期までに水分供給を実施することを特徴とするLOX活性の低い麦芽の製造方法。
【請求項5】
発芽大麦の根長を指標として浸麦又は発芽工程時の水分供給時期を管理し、根長が短い時までに、水分供給を実施する事を特徴とする請求項4に記載のLOX活性の低い麦芽の製造方法。
【請求項6】
根長が3mm以下、望ましくは1mm以下の時までに水分供給を実施する事を特徴とする請求項4に記載のLOX活性の低い麦芽の製造方法。

【図2】
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【図3】
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【図4】
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【図1】
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【公開番号】特開2006−34129(P2006−34129A)
【公開日】平成18年2月9日(2006.2.9)
【国際特許分類】
【出願番号】特願2004−215713(P2004−215713)
【出願日】平成16年7月23日(2004.7.23)
【出願人】(000000055)アサヒビール株式会社 (535)